バッハとカンタータについて

バッハとカンタータについて

ミュールハウゼンに移住したバッハは、1707年の秋にマリア=バルバラ=バッハ(父方の従兄の娘)と結婚します。

この頃からバッハは、カンタータの作曲を始めており、生涯に渡り200曲以上ものカンタータを残しています。

ウォルフガング=シュミーダーが組織的に整理した目録であるバッハ作品番号BWVの形式では、BWV1~231がカンタータに相当しています。

カンタータは交声曲とも言われ、器楽器の伴奏に合わせて独唱か合唱いずれかが加わって構成された声楽曲のことです。

またカンタータの由来は、1600年代後半頃に、イタリアで作曲された、レチタティーボ(話すように歌われるパート)とアリア(独唱)からなる独唱と通奏低音のための歌曲として知られ教会などで歌われていました。

バッハが活躍した時代の1700年代前半のドイツでは、コラール(讃美歌)を取り入れた教会カンタータが作曲されるようになっていました。

カンタータには、教会カンタータと世俗カンタータがあり、前者は宗教的な主題がモチーフとなり、聖書に由来する歌詞が使われる形式であるのに対して、後者は都市や宮廷の祝典のために作曲された複数声部のための作品で、当時はむしろ「セレナータ)」、や「音楽劇」等と呼ばれるのが一般的でした。