バロック時代初期のオペラ(2)「マドリガード」と「モノディア形式」

バロック時代初期のオペラ(2)
「マドリガード」と「モノディア形式」について

マドリガードは15~16世紀の間にイタリアで流行した世俗歌曲の一種<フロットラ>から発展したもので、最上声部を主旋律として作曲され、3声または4声のための声楽曲で、三行の詩句が二節または三節繰り返された後に、二行のリトルネッロで結ばれる形式となります。

これに対してモノディア形式は、フィレンツェのジョバンニ=デ=バルディ伯爵(1534~1612年)を中心に、知識人、文学者、音楽家などが集い諸学問に関して議論する為に結成されたサークルであったカメラータによって推奨された、通奏低音の伴奏付独唱歌曲がその成り立ちにあります。

なお、このカメラータにおいて音楽部門では、ガリレーイ=ビィンチェンツォ(1520後半~1591年)、カッチーニ=ジューリオ(1551~1618年)らの音楽家が参加していたと言われております。

ガリレーイは、1582年に<古代の音楽と現代の音楽についての対話>を刊行した人物でカメラータの音楽感における活動に大きく影響を及ぼしたとしてされております。
またカッチーニは、コジモ一世によりその歌唱力を見出されたテノール歌手で、歌曲集<新音楽>にてその優れた歌唱法と演奏法を確立しておりました。

バロック時代初期(1)「音楽劇」から「オペラ」へ

ビバルディが活躍していたかなり以前より、バロック時代には、今のオペラが形式として確立された、という重要な時代でもありました。

ビバルディも数多くのオペラを作曲していますが、これからしばらくは、このバロック音楽とオペラについて、その歴史や社会背景などを交えながら、どのように発展していったのか、さまざまな角度から書いていきたいと思います。

バロック時代初期(1)<「音楽劇」から「オペラ」へ>

ヨ―ロッパの中でも、特にイタリアのオペラの歴史は、古くからそのめざましい発展が見られ、確固たる史実が残っております。
その歴史をたどると、「オペラ」という名称すら初期の頃には存在していなく、当時の作曲家自ら「音楽による寓話」などと称されていました。
ただしこの当時の作品に関しては、むしろ「音楽劇」と総称されたほうが適当であると考えられている一面もあります。

その背景には、西洋音楽史の流れとして、中世ルネサンスのマドリガーレが基礎になっています。これは1540年代になり、イタリアのマドリガードとしても発展していきますが、徐々に新しくモノディア形式が取り入れられる傾向へと移行する背景があったためである、とも考えられております。

これらは、マレンツィオ(1554~1599年)やジェズアルド(1561~1613年)らといった、当時の作曲家の作品に見られる、独奏旋律のパートや和声を意識した劇的な表現からうかがい知ることができます。
また、ルネサンスの社交的な娯楽の曲調を崩す方向に促す傾向にあったことが関係しているものと思われます。

バロック初期においては、このような音楽の発展性が、流動的に一連の西洋音楽全体を変革させていき、最終型は近代の歌劇と呼ばれる要素を含んだスタイルに様変わりしていった時期であったと考えられております。

ビバルディとオペラの成立

「ビバルディとオペラの成立」

1713年にビバルディは、歌劇「離宮のオットー大帝」RV.729をベチェンツァで初演しています。
初期の頃において、ビバルディの残した作品としては、器楽曲をはじめとする多くの協奏曲が中心に創作されていたと思われがちですが、その生涯において数多くのオペラも作曲している事実に驚かされます。
音楽史におけるビバルディの歌劇は、後期バロック音楽に位置付けされており、いうまでもなくこの後期のバロック音楽中のとりわけオペラを確立させた最高峰の1人とであるとされております。

今後しばらくは、ビバルディの歌劇がこの世に現れるきっかけとなった、イタリアオペラの歴史を振り返ってみると共に、その時代背景をとおして変化し発展していくバロック音楽の様式、またビバルディの創作にも影響を与えたと思われる先人達の作品にも焦点をあてていきたいと思います。
また、当時の音楽を取り巻く環境、情勢などを踏まえ、バロック音楽初期から中期にかけて、そしてビバルディ自身が活躍したバロック後期へと段階的に紹介していきたいと思います。

ビバルディのバイオリン協奏曲「ラ・ストラバァガンツァ」について(3)

ビバルディは数多くのバイオリン協奏曲を作りましたが、なかでも「ラ・ストラバガンツァ」とは、<風変わりな>という意味。
当時の協奏曲の構成としては、斬新な曲調であったことから、この副題が命名されているものであると考えられます。

前回、前々回と、この「ラ・ストラバガンツァ」の楽章構成を4曲ずつ書いてきましたが、今日は残りの4曲の楽章構成を記します。

9.バイオリン協奏曲第6番ト短調 RV 316a Op.4-6
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ・カンタービレ>
第3楽章:<アレグロ>

10.バイオリン協奏曲第4番イ短調 RV 357 Op.4-4
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<グラーベ>
第3楽章:<アレグロ>

11.バイオリン協奏曲第5番イ長調 RV 347 Op.4-5
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ・カンタービレ>
第3楽章:<アレグロ・モデラート>

12.バイオリン協奏曲第1番変ロ長調 RV 383a Op.4-1
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ・カンタービレ>
第3楽章:<アレグロ>

なお、第6番第1楽章アレグロの旋律は、ト短調の哀愁を帯びた曲調が印象深く、ビバルディ独特の音の世界に引き込まれてしまうような面持ちがある魅力的な曲です。
演奏としては、やはりここでもとりわけ洗練された巧みな独奏と合奏を聴かせてくれるイ・ムジチ合奏団を個人的にはお薦めいたしますが、今ではCDなどは、入手困難とも言われています。

ビバルディのバイオリン協奏曲「ラ・ストラバァガンツァ」について(2)

ビバルディは数多くのバイオリン協奏曲を書いていますが、その中でも1713年に発表したのが「ラ・ストラバァガンツァ」(作品4)。

前回は、作品番号の若い順に4曲をピックアップし、その楽章構成などについて書きましたが、今回も引き続き、4曲をピックアップしていきます。(前回から楽曲の若い順で続いています。)

5.バイオリン協奏曲第2番ホ短調 RV 279」Op.4-2
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ>
第3楽章:<アレグロ>

6.バイオリン協奏曲第9番ヘ長調 RV 284」Op.4-9
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ>
第3楽章:<アレグロ>

7.バイオリン協奏曲第12番ト長調 RV 298 Op.4-12
第1楽章:<スピリトーゾ・エ・ノンプレスト>
第2楽章:<ラルゴ>
第3楽章:<アレグロ>

8.バイオリン協奏曲第3番ト長調 RV 301 Op.4-3
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ>
第3楽章:<アレグロアッサイ>

このうち、第9番へ長調の第1楽章は、躍動感があふれるリズミカルなトゥッティと、早いテンポで奏でられる独奏が響きあう構成となっており、特徴がよく表現された作品となっております。

ビバルディのバイオリン協奏曲「ラ・ストラバァガンツァ」について(1)

ビバルディはたくさんのバイオリン協奏曲を書いていますが、1713年、バイオリン協奏曲「ラ・ストラバァガンツァ」(作品4)を発表します。
この曲は、全12曲から構成されたバイオリン協奏曲集で、ビバルディが名声を得た作品集の1つ。「調和の霊感」作品3とほぼ同時期である、1711年から1715年にかけて発表されました。

「ラ・ストラバァガンツァ」は、ビバルディがバイオリン協奏曲を書く作曲家として開花するきっかけとなった曲でもあります。今日は、その中でも作品番号の若い順から4曲の楽章構成を書いていきます。

1.バイオリン協奏曲第7番ハ長調 RV 185 Op.4-7
第1楽章:<ラルゴ>
第2楽章:<アレグロ>
第3楽章:<ラルゴ>
第4楽章:<アレグロ>

2.バイオリン協奏曲第10番ハ短調 RV 196 Op.4-10
第1楽章:<スピリトーゾ>
第2楽章:<アダージョ>
第3楽章:<アレグロ>

3.バイオリン協奏曲第11番ニ長調 RV 204 Op.4-11
第1楽章:<アレグロ>
第2楽章:<ラルゴ>
第3楽章:<アレグロアッサイ>

4.バイオリン協奏曲第8番ニ短調 RV 249 Op.4-8
第1楽章:<アレグローアダージョープレスト>
第2楽章:<アダージョ>
第3楽章:<アレグロ>

ビバルディのバイオリン協奏曲「ラ・ストラバァガンツァ」の中でも、比較的作品番号の若い楽曲は、第1楽章から第3楽章が、<急>・<緩>・<急>の構成となっており、アレグロからラルゴへ変化したり、アダージョからアレグロへと変化に富んだ形式となっています。
ただし、第7番だけが全4楽章形式であるとの特色があります。

なお、独奏バイオリンによる協奏曲となっていることから、「調和の霊感」とは相違しており、技巧的な独奏とトゥッティが交互に入れ替わる特徴があります。

ビバルディ「調和の霊感」第12番ホ長調について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第12番についてです。

<第12番ホ長調>
ビバルディの作曲した「調和の霊感」その最終番でもある第12番は、バイオリン協奏曲で、全3楽章形式からなります。

この12番からも、バッハは、チェンバロ用とオルガン用に編曲しています。
代表的な作品としては、チェンバロ用に、第3番、第12番、第12番の3曲があります。
またオルガンのために、第8番、第11番の2曲、また4台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲イ短調(BWV 1065)等にも編曲されており、計6曲もあると考えられます。
このように、現存するバッハの作品の多くは、ビバルディの<調和の霊感>から多大な影響を受けていることがよくお分かりになると思います。

ということで、ビバルディの調和の霊感を第1番から12番まで順番にご紹介してきましたが、この曲は別名「調和の幻想」とも呼ばれています。
おそらくこれはイタリア語訳の違いだと思いますが、曲としては全く同じものです。
もしCDなどを探していて、「調和の霊感」でみつからないときには、ぜひ「調和の幻想」でも試してみてください。

また、世界で<調和の霊感>を収録したCDは数多いのですが、個人的にはイ・ムジチ合奏団の演奏(1999年版)をお薦めしたいと思います。

ここで、イ・ムジチ合奏団についても少しご紹介しておきますと・・・。

イ・ムジチ合奏団は、1951年にイタリアで結成された室内合奏団(13人の編成)です。
特にバロック音楽界に君臨する代表的な楽団でもあり、日本をはじめ世界中でとても人気の高い楽団の一つ。
1963年(昭和38年)に、初来日して以来、バロック音楽の火つけ役とも言われています。

日本では、ビバルディの代表作といえば「四季」をイメージする人が圧倒的に多いことと思います。「調和の霊感」を聴くことで、またビバルディの印象がすこし変わるのかもしれません。

ビバルディ「調和の霊感」第11番ニ短調について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第11番についてです。

(第11番ニ短調)
ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第11番は、2つのバイオリンとチェロのための協奏曲です。曲の構成としては、全3楽章形式あるいは全5楽章形式とも言われる合奏協奏曲となります。

第1楽章 はアレグロで 、2つのバイオリンによる独奏が続いた後に、続いてチェロの独奏が表れる構成となっています。

第2楽章は、わずか3小節の楽章から成るアダージョスピッカート で、2つのバイオリンとチェロが同じリズムで演奏をします。

第3楽章 はアレグロで、最初にチェロがフーガ(カノンと同様に同じ旋律が、複数の声部に順次に現れる特徴があり、リトルネッロと似通っている。)の主なパートを演奏し、次にビオラ、続いて第2バイオリン、最後に第1バイオリンが順番に入ってくる形式で、最終のパートでは、ビオラが主体となる特徴があります。

第4楽章は、ラルゴ スピッカートで、スピッカート奏法のシチリアーナとなっております。独奏の部分は第1バイオリンだけが担当し、ほかは8分音符だけで刻むこととなり、合奏においては伴奏に多少の変化が現れる構成とされています。

第5楽章 はアレグロ で、ここでも第1楽章と同じように、2つのバイオリンによる独奏が続いた後に、チェロの独奏が入ってきます。基本的に、十六分音符が多い活発な曲調であり、最終的には、華やかに終わっていく特徴があります。
これを原曲として、バッハは、「オルガン協奏曲 ニ短調 BWV596」に編曲しています。

ビバルディ「調和の霊感」第10番ロ短調について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第10番についてです。

<第10番ロ短調>
ビバルディの「調和の霊感」の中でも第10番は、4つのバイオリンとチェロのための協奏曲です。
第1楽章は、4本のバイオリンが独奏のパートを次々と交代していく形式となっています。

第2楽章はラルゴ(ゆるやかな速度)で構成されており、ロ短調で完結する形式にはなっていない特徴があります。

また第3楽章は、各々のバイオリンが連鎖的にパートを繋いでいく第1楽章と似通った形式で編成された曲となっています。
なお、「4つのチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065」を作曲したバッハは、このビバルディ10番を基に編曲したというエピソードもあります。

ちなみにビバルディの「調和の霊感」の中でも、第10番は、映画のテーマ音楽として何度か使用されるなど、どこかで聞いたことがあるような馴染み深い旋律が特徴。
案外、過去に聴いたことがあっても、題名を知らなかった曲が、この「調和の霊感」第10番なのかもしれませんね。

ビバルディ「調和の霊感」第9番ニ長調について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第9番についてです。

<第9番ニ長調>
第9番は、バイオリン協奏曲で、全3楽章形式となっています。

第1楽章は、アレグロであり、全体的に和やかで、美しい響きと旋律で構成されています。
第1の合奏と第2の合奏の旋律が、この曲の構成において重要な役割を担っています。
一方、第3の合奏では第一の合奏の動機がロ短調で再現されているのが特徴。
第1楽章は全体的に短めに構成されており、トータルで2分弱程度の長さです。

第2楽章は、何度も同じパターンの旋律を継続し、繰り返す手法が楽章を支配している特徴があります。
また、バイオリン独奏のパートでは、通奏低音は休止となります。

第3楽章では、第二の合奏は、単一の高さの音を、連続して小刻みに演奏する形式ですが、それ以降の曲奏は転調していきます。

ビバルディ「調和の霊感」第7番、第8番について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも第7番と第8番について、まとめてお話します。

<第7番へ長調>

ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第7番は、4つのバイオリンとチェロのための協奏曲で、全5楽章形式で構成されています。

この第7番は、コレルリのコンチェルト・グロッソの曲調によく似ている点から、この作品は『調和の霊感』の中でも、比較的初期に作曲されていた曲ではないか、と思われています。


<第8番イ短調>

一方、第8番は、2つのバイオリンのための協奏曲で、全3楽章形式となっています。

第1楽章は、アレグロ、第2楽章は二短調でシチリアーナの旋律となっています。
ちなみに、「シチリアーナ」とは、緩やかな8分の6拍子か、8分の12拍子で作曲される、短調の舞曲のことを一般的に指しています。

第3楽章は、躍動感があふれ親しみ易い曲調です。
この曲は、後世にヨハン=セバスチャン=バッハ(1685-1750:以後はバッハ)により、オルガン用(独奏)に編曲され、オルガン協奏曲 第2番 イ短調 BWV593が誕生した、といったエピーソードもある曲なので、バッハに興味のある方も、ぜひ1度聴いてみてください。

ビバルディの「調和の霊感」第6番イ短調について

今日はビバルディの「調和の霊感」の中でも、第6番イ短調についてです。

<第6番イ短調>
ビバルディの「調和の霊感」第6番は、全部で3楽章形式からなる、バイオリン協奏曲です。 この曲は、バロック音楽時代の古典的な独奏楽器と合奏で構成されており、合奏協奏曲に大きく発展した、最古の協奏曲と言われています。

まず、第1楽章は、リトルネッロ主題が、3つの動機から構成されています。
全体的にイ短調が主体となっており、転調がほとんど無い構成、というのがその特徴でもあります。
また、この第1楽章は、現在バイオリンを学ぶ上で重要な曲目の1つとなっており、主立ったバイオリン学習のための教本に編曲された形式で掲載されています。

第2楽章は、14小節のカンタービレとなっており、大きく分けると前半、後半の2部構成になっています。
また後半の形式が、前半の曲調を自由に変奏したモチーフとなっている、といった特色があります。

第3楽章は、始めの合奏による楽節がホ短調で、次にイ短調、続いてハ長調、終りにイ長調の調性で再現されています。
また最終部の辺りでは頻繁に、独奏と合奏が交互に入れ替わる演奏形態となっています。

ビバルディの「調和の霊感」第5番イ長調について

今日はビバルディ「調和の霊感」の中でも、第5番について、説明したいと思います。

<第5番イ長調>
ビバルディの「調和の霊感」第5番は、ずばり「2つのバイオリンのための協奏曲」。
全3楽章形式から構成されています。

まず、第1楽章は、冒頭の音型はリトルネッロ主題として、楽章の中で生かされていますが、すべてがイ長調で登場する、というちょっとユニークな形式となっています。

ちなみに、この「リトルネッロ」というのは、一見、ロンド形式と似通っていますが、実はそれとは若干違っています。
リトルネッロの主な特徴としては、楽曲の最初と最後以外は、主調以外の調で演奏される、といったことがあるので、ぜひ興味のある人は聴き分けてみてください。

第2楽章は、旋律が美しい12小節のカンタービレ。
また、ここでは、通奏低音が休止されているといったことも特徴になっています。

第3楽章は、リトルネッロ主題8小節からなり、2つのバイオリンが独奏で交代に演奏をし、その後に、全楽器での合奏が繰り返される、といった構成になっています。

なお、第4番目に出てくる合奏のパート以外は、第1楽章と同じように、すべてイ長調で作られています。

ビバルディの「調和の霊感」第4番ホ短調について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第4番についてです。

<第4番ホ短調>
ビバルディの「調和の霊感」第4番は、4つのバイオリンのための協奏曲となっています。
また、第4番も「調和の霊感」の第2番と同じように、緩急が繰り返されるのが特徴。
第1楽章は緩、第2楽章は急、第3楽章は緩、第4楽章は急、で構成されており、全4楽章形式からなる協奏曲となっています。

また、この曲は、合奏から独奏への移り変わりをかなり顕著に表現している協奏曲の1つとなっています。

ちなみにこの第4番を聴いた時に、全4楽章の形式で構成されていると理解した場合は、第3楽章のアダージョは極端に短いものですし、これは前後に位置する、早い楽章同士をつなぐ意味を果たす役割があるもの、と考えることができます。

なお、このような曲の形式は、同世代の先駆者でもあるコレルリが作曲した協奏曲でもよくうかがい知ることができます。

ビバルディの「調和の霊感」第2番、第3番について

今日は、ビバルディの「調和の霊感」の中でも、第2番、第3番についてです。

<第2番ト短調>
「調和の霊感」第2番は、 2つのバイオリンとチェロのための協奏曲。
第1楽章より、緩、第2楽章は急、第3楽章は緩、第4楽章は急・・・といった形で構成されているので、そういった点ではまさに緩急のメリハリが付いていることをが第2楽章の最大の特徴。全4楽章形式の協奏曲です。

ちなみにこの第2楽章で表現されているような、2つのバイオリンとチェロの演奏で編成された協奏曲の形式は、17世紀末に広く知られるようになったもの。
ビバルディの「調和の霊感」の中では、この第2番と第11番の2曲が、この形式に該当しています。

<第3番ト長調>
「調和の霊感」の第3番は、バイオリン協奏曲の形式で構成されています。
全3楽章形式で、この作品は第2楽章が、平行調となるホ短調に転調するなど、実に興味深いところがあります。
比較的、曲の構成が良くまとまっていることから、『調和の霊感』の中では、後期の作品ではないか、と考えられている意見が数多くあります。

ビバルディ「調和の霊感」<第1番ニ長調>について

ビバルディ「調和の霊感」<第1番ニ長調>について

ビバルディ「調和の霊感」の中でも、第1番は、4つのバイオリンとチェロのための協奏曲で、3つの楽章から構成されています。
また、この4つの独奏バイオリンを使用する構成は、その作風から、まさにビバルディの初期の作品である、と思われます。

まず、第1楽章は、導入部の終わりの部分でチェロの独奏が加わり、独奏から合奏の切り替えが頻繁に繰り返される楽章が、そのメインとなっています。

第2楽章 は、平行調であるロ短調に転調し、スピッカート用法を用いて演奏しているのが特徴。

第3楽章になると、バイオリン・パートは8分の9拍子、伴奏パートは4分の3拍子と変化。
第1、第2楽章と比べてみると、第3楽章はちょっと奇妙な楽章になっています。

ちなみに「調和の霊感」の第1番は、楽章のほとんどが八分音符で形成されているといった点も注目したいところ。
中間60小節~63小節に小規模な転調があり、最終部90小節~98小節にかけても、また転調があります(どちらも短調への転調)。
そして最後は同じ旋律を、4つのバイオリンとチェロの演奏で華やかに締め括られています。

ビバルディの「調和の霊感」

今日はビバルディの歴史の中でも、1711年に出版された、「調和の霊感」について、ちょっと紹介したいと思います。

1711年 ビバルディは、12曲の協奏曲集「調和の霊感」作品3を、アムステルダムのルセーヌ社より出版しました。
ただし、協奏曲集といっても、現状では当たり前ですが、協奏曲の特徴である独奏の技巧をアピ-ルする協奏曲の形式とは大きく相違しています・・・。

例えば、独特の楽章の構成や独奏楽器の編成などに多様な、技法、工夫が見られること。
でも、これがビバルディの当作品の特徴であったり、魅力とも言えるべきものである、とも考えらえます。

なお、ビバルディの「調和の霊感」は第1番から12番まで、トータルで12の作品からなりたっています。
今でもイタリア合奏団を中心に、たくさんのオーケストラがこの「調和の霊感」を演奏していますし、実はビバルディの作品では「四季」と同じくらいに、かなり有名な楽曲。
ビバルディに興味のある人、またクラッシック音楽の中でも、特にバロック音楽に深い関心のある人であれば、誰もが知ってるような、そんな作品が「調和の霊感」なのです。

ちなみに次回からは、この「調和の霊感」の第1番から第12番まで、1作品ずつ分けてそれぞれ詳しく書いていこうと思っております。どうぞお楽しみに!

ビバルディの転換期(フレデリック4世について)

前回、前々回と、ビバルディの転換期といえる時代について、さまざまなエピソードを中心に書いてきましたが、今日はビバルディと当時のデンマーク国王「フレデリック4世」などについてです。

<ビバルディの転換期>(後編)

1708年 ビバルディはピエタでデンマーク国王を迎えての演奏会を行い、翌年の1709年 「バイオリンと低音のためのソナタ集」出版し、デンマーク国王(フレデリック4世)に献呈しています。

ちなみに、このフレデリック4世(1671-1730)は、当時のデンマークとノルウェーの国王。
しかも当時は、スウェーデンと北欧戦争の真最中にありましたが、ベネチアの地を訪れたおりに、すでに欧州諸国で評判になっていたピエタ養育院で、ビバルディの音楽に魅了された!と言われております。
なお、このピエタ養育院は、なんと市の観光名所の1つ、とされていたそうで、それくらいすでに有名となっていたそうです。

ただし、この華やかな時もつかの間・・・。
ビバルディは音楽教師の任期切れ前に、理事会で審議された結果、再任に必要な投票数に到達せず、同年2月から1711年9月まで、一旦ピエタの職を解任される事となります。

国王に献呈までしたビバルディも、この時期は、それなりに挫折を味わっていたんですね。

ビバルディの転換期(トリオソナタ集について)

今日は、ビバルディの人生の転換期の中でも、1705年に書いた「トリオソナタ集」を中心に、書いていきます。

<ビバルディの転換期>(中編)

1705年 ビバルディは当時のベネチアの貴族であった、アンニーバレ=ガンバラ伯に献呈されたと言われている「トリオソナタ集」作品1を作曲しています。

このビバルディの「トリオソナタ集」においては、2つの独奏楽器(バイオリン)と通奏低音(ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ)が主体の演奏となっているのが特徴。
ビバルディの作品の中で、現在知られているもっとも古い作品とされています。

なお、「トリオソナタ」の形式は、ビバルディに先駆けて既に音楽界で成功していたコレルリ(1653-1713)によって洗練されたと言われており、ビバルディはまさに、この影響を受けた、と考えられています。

また、このトリオソナタ集は、全体で12曲有り第1番ト短調 RV73、第2番ホ短調 RV67、第3番ハ長調 RV61、第4番ホ長調 RV66、第5番ヘ長調 RV69、第6番二長調 RV62、第7番変ホ長調 RV65、第8番二短調 RV64、第9番イ長調 RV75、第10番変ロ長調 RV78、第11番ロ短調 RV79 、第12番二短調 RV63「ラ・フォリア」、構成されています。

ちなみに「ラ・フォリア」とは、スペインの独特の古い舞曲をモチーフとした曲調であり、ビバルディだけでなくバロック時代に複数の音楽家が、変奏曲を遺しています。

ビバルディの転換期(ピエタについて)

今日は、ビバルディの人生における転換期の中でも、まずはその前半部分についてや、作曲家として有名になるきっかけとなったピエタについて書いていきます。

<ビバルディの転換期>(前編)

1703年 ビバルディはようやく念願の司祭に任命されますが、持病の喘息ため、ミサを司式することができなかったそうです。
そこでビバルディは、止むを得ず半年でその職を辞任し、同年9月ベネチアにあった孤児院兼音楽学校、オスペダーレ・デッラ・ピエタ(ピエタ養育院)のバイオリン教師となりました。

ピエタ養育院は、現在は存在していませんが、ビバルディが属していた時代は、当時孤児院兼、音楽院の機能を成す機関でした。
その由来は、じつに1346年にまでさかのぼります。

また、当時の孤児院は、少し変わった特徴がありました。
もちろん基本は慈善で孤児や棄て子を養育するための機関でしたが、音楽の才能が認められた者は(女子に限る)、10歳になるまでに集中的に音楽の教育を受けた後、付属音楽院の「合奏・合唱隊」のメンバーになった、と言われます。

この孤児院も、実はビバルディが音楽教師の座につくまでは、施設の運営資金が不安定な状態でした。
ところが、合唱隊、音楽院の演奏会(協奏曲、室内楽曲)が盛んに上演されるようになり、ヨーロッパ中でそのレベルの高さが話題を呼び、ついには、貴族や市民からの寄付金が多く集まるようになります。

さらに、この間に、ビバルディは特に才能のある者を弟子とし、有能なバイオリニストを要請しました。
これについては、当時のヨーロッパ中が、ビバルディとその弟子達に絶賛を博した!とまで言われております。

今でも世界中で愛されているビバルディの音楽の多くは、まさにこの施設の生徒達、弟子達の音楽教育、練習用のために書かれた作品であり、それが世に現れるきっかけとなったのです。

ビバルディは音楽教師、演奏家であるだけでなく、この頃から、更に作曲家としても花開こうとしていた時期でもありました。

ビバルディの誕生と幼少期

今日は偉大な作曲家ビバルディの生涯の中でも、まずはその幼少期を中心に、いくつかエピソードをご紹介します。

<ビバルディの誕生と幼少期>

1678年 3月4日、ビバルディは、理髪師でサンマルコ大聖堂付きバイオリン奏者としても優れた演奏家であった、父ジョバンニ・バティスタ・ビバルディの長男として、ベネチア共和国に生まれました。

当時のベネチアは、交易が盛んな都市であり、またフランスやオスマンと対立する状況下の基、国力が徐々に低迷する時代背景がありましたが、一般市民でも芸術に対する才能があれば貧富の差に関係無く、評価され取り入れられる革新的な面がありました。

そんな中、音楽界ではアルビノーニ(1671年誕生)、スカルラッティ(1685年誕生)など、今では世界に名立たる作曲家を搬出する、まさに芸術家の宝庫でもありました。

1688年 ビバルディは生まれつき喘息であったため、学校を親元から通う例外が許されています。
そこで、父のもとでのバイオリンの勉強を続けながら、サン・ジェミニアーノ教会付属の学校に入学しました。
なお、このサン・ジェミニアーノ教会は、19世紀ナポレオンによって ナポレオン様式の建造物の翼部を建設するために破壊された、と言われています。

1693年 ビバルディは社会的地位を確立するために(当時は、一般庶民でも出生できる道とされていた)聖職者になる道を選び、剃髪を受けました。

それ以降から、徐々にビバルディの才能が開花していき、今なお残るすばらしい作品が、次々と作曲されていくのです・・・。

というわけで、次回はビバルディのまさに「人生の転換期」について、さまざまなエピソードを交えながら、ご紹介しようと思いますので、どうぞお楽しみに!

ビバルディの生涯とその遺作

クラシックマニアの皆さん、ようこそおいでくださいました!

このブログを開設して、まさに記念すべき第1回目は、バロック音楽の集大成を築き上げた、イタリアが生んだ大作曲家「アントニオ=ビバルディ」について、です。
彼が残した名曲の数々を抽出し、彼の生涯を交えながら書いていこうと思っています・・・。

ビバルディと言えば、和声法とインベンションの試み「四季」が良く知られていますよね。
この皆様おなじみの「四季」は、全12曲から構成されており、有名な春、夏、秋、冬はこの内の4曲が抜粋された作品となっております。

また、ビバルディが生涯に残した作品総数は、実に600曲程と言われ、四季だけではなく現代でも世界各地で幅広く演奏されています。

なお、600曲のうち、大半の約90%が器楽曲で、その他は声楽曲が主体となっています。
同時に優れた弦楽器奏者でもあったビバルディの作った作品は、これら器楽曲のうち、約80%が独奏楽器の為の協奏曲となっています。

これらの膨大な数の協奏曲集は、古典派音楽を代表するヨハン=セバスチャン=バッハ、ウォルフガング=アマデウス=モーツアルト、ルートビィヒ=ベートーベンなどの後世の音楽家達に多大な影響をもたらしたことも、彼らの作品の中からうかがい知ることができると思われます。

まさにバロック音楽の代表的存在でもある、ビバルディ。
今後は、そんなビバルディの生い立ちに沿って、さまざまな代表作などを随時ご紹介していこうと思っています。どうぞお楽しみに!

クラシックマニアの世界へようこそ!

クラシック音楽マニアの世界へようこそ!

このブログは、世界的にも有名なクラッシック音楽の巨匠たちを中心に、その生い立ちや、エピソードなどを交えて、随時紹介したいと思っています。

また、有名な代表曲を中心に、その個人的な感想を交えて、書いていきますので、どうぞ参考にしていただければ・・・と思っております。(曲に対する感性はきっと個々で違うと思いますが・・・。)

なおこのブログに書かれていることは、それぞれ諸説の一つといわれていることを、個人的な観点によって解釈して記載しております。

さまざまな文献を基に、個人的に推測している部分もありますので、事実とは異なる場合もありえます。そのことで何か不利益がありましても、こちらでは一切対応できませんので、その辺をご了承のうえで、ご愛顧下さいますよう、よろしくお願いいたします。

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