バッハの6つの無伴奏チェロ組曲-第2組曲「第4曲~第6曲」

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲-第2組曲二短調 BWV.1008「第4曲~第6曲」(その4)

前回に続いて、6つの無伴奏チェロ組曲 -第2組曲二短調 BWV.1008の 「第4曲~第6曲」について紹介します。

④第4曲「サラバンド」、二部形式、3/4拍子。
冒頭で同じ音階が、チェロの2本の弦で奏でられるというユニークさが見られる特徴があり、
後半のパートにおいては、その独特の旋律から過去に見たことがあるような懐かしい情景を思い出させる雰囲気を感じさせてくれます。

⑤第5曲「メヌエット」 I/II、三部形式、3/4拍子。
第1組曲の「メヌエット」と同様に、大きく分けて第1部、そして第2部の軽快なメヌエットの後に再び第1部が演奏される3部形式で構成されています。
第2曲の「アルマンド」と同様に、ここでも再び重音が登場し、美しく整ったバッハらしい旋律を背景に、情熱的な要素が盛り込まれています。

⑥第6曲「ジーグ」、二部形式、3/8拍子。
早いテンポで演奏され、そのリズミカルで歯切れの良い音型に特徴があり、これが最後まで繰り返し展開されていきます。多声的な曲調の響きが印象的であるのもこの楽章の特徴です。

6つの無伴奏チェロ組曲-第2組曲二短調 「第1曲~第3曲」

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲
第2組曲二短調 BWV.1008 「第1曲~第3曲」(その3)

この第2組曲二短調 BWV.1008は、「前奏曲」からその後の 舞曲「クーラント」から「ジーグ」まで、先回紹介した第1組曲ト長調 BWV.1007と同じ構成になっています。
またこれら4曲の舞曲も同様にイタリア風な様式を採用しています。

①第1曲「前奏曲、プレリュード」、3/4拍子。
冒頭から徐々に上昇していく音階からなる旋律が、その音型がピークを迎えるまで展開されていき、最終楽節では五つの重音が連続して登場してきます。

なお、ここでも第1組曲と同様に分散型による和音で演奏されたり、より華麗な装飾による音階を適用することにより即興的に演奏される場合があります。

②第2曲「アルマンド」、二部形式、 4/4拍子。
重音や低音部を、巧みに用いて重厚さがうまく表現されており、舞曲の前に落ち着いた雰囲気を醸し出すことにより、これ以降の曲がより引き立つように曲を調整する楽章でもあるのです。

③第3組曲「クーラント」、二部形式、3/4拍子。
第1組曲と同様に、早いテンポで演奏されています。細かく緻密な音型が主体な旋律で構成されており、多声的な響きに特徴があるところが魅力でもあります。

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲 第1組曲ト長調 「第4曲~第6曲」

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲 
第1組曲ト長調 BWV.1007 「第4曲~第6曲」(その2)

前回に続き6つの無伴奏チェロ組曲-第1組曲ト長調 BWV.1007について、その「第4曲~第6曲」を紹介します。

④第4曲 「サラバンド」、二部形式、3/4拍子。
重音奏法を使って落ち着いた雰囲気が見られる曲調に特徴があります。
一見すると単純であるかと思われる舞曲の構成に、多声的な要素がふんだんに盛り込まれています。

重音奏法の技巧がかなり駆使されている為か、一つの楽器による演奏とは思えない多彩な効果音が随所に聴いて取れるのです。

このような重音奏法を大型の弦楽器であるチェロに取りこむのは、一般的に困難性があるのですが、バッハは主旋律に絶妙なフレーズを織り込む曲調を構成しているのです。

⑤第5曲「メヌエット」 I/II 三部形式、3/4拍子。
メヌエットは、第1部 ト長調、第2部のト短調に分けて構成されています。
しかし、ややもするとあたかも二部形式のように聴いてとれるのですが、第2メヌエットのすぐ後に、第1メヌエットが今度は反復すること無く登場し、再び表れるとの特徴があるのです。
この為、三部形式であると言えるのです。
また第3、第4曲と同じ様に速度指示の無い舞曲が主体となっています。

⑥第6曲「ジーグ」二部形式、6/8拍子。
イタリアのテンポが早い舞曲であるジグを取り入れており、その急速な舞曲の演奏には目を見張るものがあります。

以前ジグを6つの無伴奏バイオリンソナタ 第6曲「パルティータ第3番ホ長調」BWV.1006にも採用していることを、以前に紹介したことがありました。
このような背景からもバッハは、常に時代の最先端の流行を追うことも忘れずに自己の創作を行っていたものと思われます。

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲-第1組曲ト長調「第1曲~第3曲」

バッハの6つの無伴奏チェロ組曲
第1組曲ト長調 BWV.1007 「第1曲~第3曲」 (その1)

6つの無伴奏チェロ組曲-第1組曲ト長調 BWV.1007のまず「第1曲~第3曲」について紹介します。

①第1曲「前奏曲、プレリュード」、4/4拍子。
即興曲的な要素で構成されており、また比較的に自由な形式の曲調が含まれています。
分散型の和音が次々と移り変わっていく特徴もあり、ここがロドルフ=クロイツェル(1766~1831年、フランスのバイオリニスト・作曲家・指揮者でもあった)のバイオリニストのための練習曲集の第13番目に引用されており、全曲中でも最もよく知られる曲でもあります。

②第2曲「アルマンド」、二部形式、2/2拍子。
プレリュードと共に、本来は舞曲であるが、バッハの活躍したバロック音楽時代では、既に舞曲的な要素は無く、穏やかな曲調でまとめられています。

③第3曲「クーラント」、二部形式、3/4拍子。
軽快なリズム感のある舞曲で構成されています。
また、演奏自体は少し早めのテンポですが、実は演奏速度の指示が無いのです。
これは、本来の舞曲が持つ独自のテンポで演奏されることをバッハが目的にした創作性があったものと思われます。
この特徴は、以降第4曲から第6曲にも見られる共通した内容でもあるのです。

バッハの「6つの無伴奏チェロ組曲」

バッハの「6つの無伴奏チェロ組曲」 BWV1007 ~1012 (作曲の背景)

1720年、バッハは依然としてケーテンでの宮廷楽長の職にありました。
前にも少々触れましたが、ケーテンでのバッハの創作活動においては世俗的な器楽曲を多く残しており、意外にも教会音楽の方があまり作曲されていないのです。
それは、この背景にケーテンの宮廷に宮廷楽団があった為であると言われています。

バッハはケーテンで、この宮廷楽団と深い関わりを持っていたのです。
楽団の一員となり自ら室内楽を演奏をしたり、楽団を指揮するなどの活動をしていた背景があるのです。

また、この宮廷楽団は小規模ながら当時の弦楽器奏者としては名高い名手が何人が所属していた事もあり、バッハの器楽曲として大変重要な位置付けにある作品の多くは、ケーテン時代にこの宮廷楽団のとの音楽活動をとおして生まれたものであったのです。

6つの無伴奏チェロ組曲(BWV.1007~1012)も、この楽団の一員であったチェロ奏者の為に作曲されたものだと言われております。

特にチェロを主体にした曲はあまり創作されていないので、特に貴重な作品であるのです。

なお、近代ではパブロ=カザルス(1876~1973年 スペインのチェロ演奏家、指揮者、作曲家)によって再発掘されて以来、チェリストの中では聖典的な作品と見なされるようになっているのです。

アンナ・マグダーレーナ=バッハの為のクラビィーア小曲集(その2)

アンナ・マグダーレーナ=バッハの為のクラビィーア小曲集(その2)

この曲集には第1巻と第2巻があり、第1巻には丁度この頃に作曲したと言われるにフランス組曲(BWV.812-817)の原曲と思われる曲やその他の変奏曲が含まれています。

第2巻には,バッハ自身の作品である「ゴルトベルク変奏曲」BWV.998のアリアや,「6つのパルティータ」(BWV825~830)からの一部 ,そして以前紹介した経緯のある「“平均律”クラヴィーア曲集」の第1巻ハ長調の前奏曲(BWV.846)が含まれています。

またこの他には、バッハの二男であるカール・フィリップ・エマヌエル=バッハ(1714~1788年)や他の作曲家の作品,作曲者不明の曲を多数含んでいます。

15.ポロネーズト短調 BWV Anh125、
16.アリアニ短調 BWV515、
17.メヌエットト長調 、
18.ミュゼットニ長調 BWV Anh126、
19.マーチ変ホ長調 BWV Anh127、
20.ポロネーズニ短調 BWV Anh128、
21.アリアト長調 BWV988-1、
22. Solo per il Cembalo 変ホ長調 BWV Anh129、  
23.ポロネーズト長調 BWV Anh130、
24.メヌエットニ短調 BWV Anh132、
25.3つのメヌエットト長調 BWV841、
26.3つのメヌエットト短調 BWV842、
27.3つのメヌエットト長調 BWV843、
28.小プレリュードト短調 BWV930、
29.運指練習曲(アプリカチオ)ハ長調 BWV994、

なお、ここでは オランダ出身の鍵盤楽器奏者、指揮者でもあるグスタフ・レオンハルト(1928年~)の演奏をお薦めしたいと思います。
彼は古楽演奏運動の第一人者、指導者でもあり、特にチェンバロ奏者として名高く、バッハの鍵盤楽器曲の演奏に定評があるソリストです。

アンナ・マグダーレーナ=バッハの為のクラヴィーア小曲集(その1)

アンナ・マグダーレーナ=バッハの為のクラヴィーア小曲集(その1)

ケーテンで幸福な日々をおくっていたバッハは、1722年に妻アンナへの感謝の気持ちを表現した作品、クラヴィーア小曲集を作曲しています。

通称、「アンナ・マクダレーナ・バッハの為のクラヴィーア小曲集」は、「同、楽譜帳」、「同、音楽帳」等とも言われています。

当時のバッハは家族と自己の作品を頻繁に演奏する習慣がありましたが、その際に演奏されていたと言われる曲や、バッハ以外の作曲家の曲で当時流行していた曲等をこの作品集に織り込んでおり、45曲程からなると言われていますが、ここでは以下の29曲程を紹介します。

曲集のタイトルを妻の名前にしてしまう事からも分かるように、自己の音楽活動を支えてくれている妻へのバッハの妻に対する深い愛情と、子供達に対する家庭を大事にしたバッハの父親らしさが感じられます。
尚、メヌエットト長調 BWV Anh114 は有名で、誰もが一度は耳にしたことがある曲です。

1.メヌエットヘ長調 BWV Anh113、
2.メヌエットト長調 BWV Anh114、 
3.メヌエットト短調 BWV Anh115、 
4.ロンド変ロ長調 BWV Anh183、 
5.メヌエットト長調 BWV Anh116、 
6.ポロネーズヘ長調 BWV Anh117、
7.メヌエット変ロ長調 BWV Anh118、 
8.ポロネーズト短調 BWV Anh119、 
9.コラールイ短調 BWV691、 
10.メヌエットイ短調 BWV Anh120、 
11.メヌエットハ短調 BWV Anh121、 
12.マーチニ長調 BWV Anh122、  
13.ポロネーズト短調 BWV Anh123、 
14.マーチト長調 BWV Anh124

バッハの生涯「ケーテン後期のバッハと3人の息子達」(その2)

バッハの生涯「ケーテン後期のバッハと3人の息子達」(その2)

バッハとマグダーレーナは、1723年から1742年の約20年間にわたり、13人の子供達を産みましたが、そのうちの7人は残念ながら早くに他界入りしてしまいました。

残りの6人の中で、バッハに勝るとも劣らない功名な作曲家になったのが、9番目の子で、活動地に言及して「ビュッケブルクのバッハ」とも呼ばれたヨハン・クリストフ・フリードリヒ=バッハ(1732~1795年)、そして11番目の子供で 「ロンドンのバッハ」と呼ばれたヨハン・クリスティアン=バッハ(1735~1782年)の2人でした。 

無論、先妻との間に生まれた二男のカール・フィリップ・エマヌエル=バッハ(1714~1788年)は、生前は父親よりも有名で、兄弟の中では誰よりも世俗的な成功を収めたので、「ベルリンのバッハ」、または「ハンブルクのバッハ」と呼ばれ、3人のバッハの中でも特に功名です。

また、クリスティアンは、バッハ一族の中では唯一、オペラを作曲し、これが大成功を治めたことから、生前に既に国際的にも名声を得た音楽家でありました。

さらに、バッハ一族の華麗な音楽の伝統を、まだ当時は幼なかったウォルフガング=アマデウス=モーツァルト(1756~1791年)に教えたことで現代でもその名が知られているのです。

またクリスティアンが、「ロンドンのバッハ」と呼ばれるのは、ロンドンでヘンデルの後継者となったことに由来するのです。

バッハの生涯「ケーテン後期のバッハ」(その1)

ケーテン後期のバッハ(その1)

しばらくケーテンで創作されたバッハの曲を紹介してきましたので、ここで少々この頃のバッハの私生活を覗いてみたいと思います。

1721年、36歳になったバッハは、かわらずケーテン公、レオポルトの宮廷楽長を務める中、多忙ながらも充実した日々を過ごしていました。

そんな中、バッハの作品を筆者してくれていたアンナ・マグダーレーナ(1701-1760年)と再婚しました。

アンナ・マグダーレーナは、バッハの故郷であるアイゼナハ近郊のツァイツの出身でした。
父は、ザクセン=バイセンフェルス公(1656-1680年)のヨハン・カスパール=ビルケ(1701~1760年)で、母マルガレータ・エリザベートは、オルガニストの娘で、マグダーレーナはこの7人きょうだいの末子でした。

前にも少々触れましたが、バッハは1717年からアンハルト=ケーテン侯レオポルト(1694~1728年)の宮廷楽長を務めていましたが、実はマグダーレーナもこのレオポルトの宮廷ソプラノ歌手であったのです。
ソプラノ歌手として、当時のケーテンでは実力派の人物として有名であったと言われています。

2人が結婚するきっかけになったのは、宮廷と言う同じ職場で知り合ったことによりますが、ビルケ家とバッハ家は、双方共に宮廷に仕える音楽家同士として、交流を持つようになりお互いに音楽に関して強く引かれあった面があったのだと言われています。

ケーテン後期のバッハは、マグダーレーナ、そして先妻の残した4人の子供達と以前よりも増してより幸福な生活をおくりました。特にマグダーレーナは、優れた歌手であったこともあり、バッハのたくさんの音楽作品の筆写譜をしてバッハの創作活動を支え協力したと言われています。