バッハの生涯「ケーテン後期のバッハ」(その1)

ケーテン後期のバッハ(その1)

しばらくケーテンで創作されたバッハの曲を紹介してきましたので、ここで少々この頃のバッハの私生活を覗いてみたいと思います。

1721年、36歳になったバッハは、かわらずケーテン公、レオポルトの宮廷楽長を務める中、多忙ながらも充実した日々を過ごしていました。

そんな中、バッハの作品を筆者してくれていたアンナ・マグダーレーナ(1701-1760年)と再婚しました。

アンナ・マグダーレーナは、バッハの故郷であるアイゼナハ近郊のツァイツの出身でした。
父は、ザクセン=バイセンフェルス公(1656-1680年)のヨハン・カスパール=ビルケ(1701~1760年)で、母マルガレータ・エリザベートは、オルガニストの娘で、マグダーレーナはこの7人きょうだいの末子でした。

前にも少々触れましたが、バッハは1717年からアンハルト=ケーテン侯レオポルト(1694~1728年)の宮廷楽長を務めていましたが、実はマグダーレーナもこのレオポルトの宮廷ソプラノ歌手であったのです。
ソプラノ歌手として、当時のケーテンでは実力派の人物として有名であったと言われています。

2人が結婚するきっかけになったのは、宮廷と言う同じ職場で知り合ったことによりますが、ビルケ家とバッハ家は、双方共に宮廷に仕える音楽家同士として、交流を持つようになりお互いに音楽に関して強く引かれあった面があったのだと言われています。

ケーテン後期のバッハは、マグダーレーナ、そして先妻の残した4人の子供達と以前よりも増してより幸福な生活をおくりました。特にマグダーレーナは、優れた歌手であったこともあり、バッハのたくさんの音楽作品の筆写譜をしてバッハの創作活動を支え協力したと言われています。