バッハの生涯「ケーテン後期のバッハと3人の息子達」(その2)

バッハの生涯「ケーテン後期のバッハと3人の息子達」(その2)

バッハとマグダーレーナは、1723年から1742年の約20年間にわたり、13人の子供達を産みましたが、そのうちの7人は残念ながら早くに他界入りしてしまいました。

残りの6人の中で、バッハに勝るとも劣らない功名な作曲家になったのが、9番目の子で、活動地に言及して「ビュッケブルクのバッハ」とも呼ばれたヨハン・クリストフ・フリードリヒ=バッハ(1732~1795年)、そして11番目の子供で 「ロンドンのバッハ」と呼ばれたヨハン・クリスティアン=バッハ(1735~1782年)の2人でした。 

無論、先妻との間に生まれた二男のカール・フィリップ・エマヌエル=バッハ(1714~1788年)は、生前は父親よりも有名で、兄弟の中では誰よりも世俗的な成功を収めたので、「ベルリンのバッハ」、または「ハンブルクのバッハ」と呼ばれ、3人のバッハの中でも特に功名です。

また、クリスティアンは、バッハ一族の中では唯一、オペラを作曲し、これが大成功を治めたことから、生前に既に国際的にも名声を得た音楽家でありました。

さらに、バッハ一族の華麗な音楽の伝統を、まだ当時は幼なかったウォルフガング=アマデウス=モーツァルト(1756~1791年)に教えたことで現代でもその名が知られているのです。

またクリスティアンが、「ロンドンのバッハ」と呼ばれるのは、ロンドンでヘンデルの後継者となったことに由来するのです。