ビバルディの旅立ち、それは永遠の魂となって(1)

ビバルディの旅立ち、それは永遠の魂となって(1)
~新展地への移住~

1740年、ビバルディはかねてから構想していたウィーンへの移住を決意し、オーストリア南部のグラーツを目指し、6月28日にはウィーンへ到着しています。

この移住の理由には、先に触れたフェルラーラでの惨事などビバルディを取り巻く生活環境の変化などさまざまな背景があったと考えられます。

また同時にこの頃から更に、ベネチアを始めとする近隣都市では、常に新しい音楽の流行を求める風潮が更に強まっており、ビバルディの音楽は過去の産物とみなされるようになっていました。

これにより、残念ながらビバルディの人気は、既に失われておりかつての栄華はとうに失せていたのです。

また長年自己の音楽への飽くなき追従とその創作を、けして止めることなかったビバルディは、自己が確立しようとしていた更に革新的な音楽の理解を、その他の地域へその視野を広げざるを得ない状況にあったことは、ピエタを退職していたこともあり安定した収入も期待できなく、以後の生活をしていくうえでの経済的な事情から、必然的な理由が揃っていたものと考えられます。

おそらく時代の変化という見えない暗闇の中に、自身がまた自己の作品が消えていくようで、それははかりしれない恐怖となっていたのかもしれません。

しかしながら、この時もかつてのように逆境においては逆にこの恐れに対して、時代に打ち勝とうする強い精神力が、またまだ自分はやれるはずだと信じて止まない老体のビバルディを動かそうとする強いエネルギーに変える原動力となったものと考えられます。

ビバルディ晩年の活動(4)

ビバルディ晩年の活動(4)
~過去の栄光を胸に~

フェルラーラでの惨事により、精神的にも身体的にもその傷跡が隠しきれないビバルディでしたが、それでも挫折から抜け出すように、1738年にアムステルダムの劇場100年を祝う演奏会に参加しております。

またこの頃、既にピエタの教職者の立場にはありませんでしたが、1739年にはザクゼン選帝侯のフリードリヒ=クリスティアン公爵(王子)を迎える演奏会にて指揮をとるなどの華やかな舞台にも参加しております。

クリスティアン公爵が、ビバルディの演奏を聴くためにベネチアを訪れたことを知っていたビバルディは、かつてたくさんの都市へ演奏旅行へ赴いたビバルディを熱烈に歓迎し、また自分の作品を高く絶賛してくれた過去の煌びやかな栄光の日々と、自信に満ちた気高く誇りに満ちた日々を回想せざるを得なかったことでしょう。

これに勢いを取り戻すかのように、1740年にはシンフォニアをピエタの為に作曲していますが、これはむしろベネチアとの別れを告げる作品になるのでした。

尚、シンフォニアとは17世紀初頭から18世紀中頃まで、歌劇の前奏器楽曲として作曲、演奏された交響楽となります。

以下に、ビバルディの残したシンフォニアの代表的な作品7曲を記します。
1.弦楽のための協奏曲 ハ長調 RV.109 、
2.シンフォニア ホ長調 RV.132、
3.シンフォニア ヘ長調 RV.137(RV.543と同一とされています。)、
4.弦楽のための序曲(シンフォニア)ト長調 序奏 RV.144 、
5.弦楽のための協奏曲 ト長調 アラ・ルスティカ(田園風)RV.151、
6.弦楽のための協奏曲 変ロ長調 コンカ(法螺貝)RV.163 、
7.シンフォニア ロ短調 聖なる墓に(聖墓のそばに)RV.169。

ビバルディ晩年の活動(3)

ビバルディ晩年の活動(3)挫折の日々

フェルラーラでの新たな興行の着手が失敗に終わり、その後もベンティボーリオ公爵とのつながりを取り持とうと努めるビバルディでしたが、1737年にビバルディは、 フェルラーラのトマゾ=ルッフォ枢機卿から、聖職にふさわしくない生活をしていると言う理由から教皇領フェルラーラへの立ち入りを禁止されてしまいます。

例えば、興行師として自己のオペラ作品を盛んに上演したり、自己の作品を演奏する旅に
頻繁に出かけるなどして聖職者としての勤めを全うしていない等、それはこれまでのビバルディの音楽活動の根本からを否定するものでありました。

また翌年には、聖職者が社謝肉祭に関与するすべての活動を、自分の管轄地域において禁止するなどの厳しい道徳観を誇示する体制を取るようになったのです。

ルッフォ自身は以前より、聖職者のビバルディが司祭らしい業務に従事せず、近隣都市へ自己が作曲した歌劇を上演して演奏旅行するビバルディの活動を非難していたと言われております。

フェルラーラへの立ち入りを禁止されたビバルディは、フェルラーラの興行師に任せてでもフェルラーラでの自己の歌劇の上演に意欲を注ぎこみ、ベンティボーリオ公爵へ何度も手紙を出し、何とか上演にこぎ着けます。

しかしながら、自己で演出を手かげられずに上演されたフェルラーラでのビバルディのオペラは大不評に終わり、興行は完全に失敗してしまいただ絶望に陥り、同年にはピエタを辞職することになってしまうのです。

ビバルディ晩年の活動(2)

ビバルディ晩年の活動(2)
フェルラーラでのオペラ上演をめぐるトラブルについて

先に触れたように、晩年のビバルディは以前よりも更に、オペラの作曲と興行師の活動を精力的に継続していました。
この時期には、ベネチアの劇場でいくつかのオペラの上演を手かげる傍ら、1736年にグイード=ベンティボーリオ=ダラゴナ公爵の保護のもとに、フェルラーラにオペラにオペラ興行のための拠点を持ち活動を始めようとします。

また同年、ベローナでは歌劇「ウティカのカトーネ」RV.705を上演し、大成功を治め、経済的にもそれなりに安定していた時期であったものと思われます。

そんなこれとは対照的に、多忙な中でも新たに興行を予定していたフェルラーラのオペラ上演の準備(作曲、会場準備、歌手、後援者探し)を始めますが、最終的に他の作曲家の作品に変えられてしまい、準備にかかった費用が借金を生んでしまうなどのトラブルに巻き込まれてしまったのです。

これには、いくつか原因があった様ですが、多忙であったビバルディが後援者と意思疎通がうまく運ばず、楽譜の修正にも時間が掛かり、ようやく見つけた歌手達にも見かげられるなど、公爵との溝にも亀裂が入る事態にも陥ってしまうのでした。

ビバルディ晩年の活動(1)

ビバルディ晩年の活動(1)
「オペラ創作とピエタとの関係」

ビバルディは、1734年に歌劇「オリンピアーデ」RV.725を、ベネチアのサンタンジェロ劇場で初演し大成功を治めています。

この歌劇は先に触れたように楽譜が現存する貴重な作品の1つですが、それだけでなくとりわけ鍛錬されたビバルディの歌劇の中でも最高峰の作品であると称されております。

1735年にはピエタの合奏の教師職に復職し、2つの歌劇「バヤゼート」RV.703、「グリゼルダ」RV.718をなおも意欲的に作曲しております。

尚、この頃のピエタとの契約においては1720年代のそれとはかなり相違し、1704年頃、すなわち司祭になりたての時期の給料と同額とされるほど、ピエタの理事会から受ける敬意は完全に失せていたことから、これら歌劇への創作、上演による収益の確保に注力せざるを得なかったものと考えられています。

また歌劇「グリゼルダ」の創作においては、台本の解釈においてベネチアの劇作家のカルロ=ゴルドーニ(1709~1793年)の協力を得るなどして作品を完成しており、歌劇「アリスティデス」においてもこの劇作家との交友関係により完成した作品であったと言われております。

尚、コルドーニは、幼い頃に父親が上演していた人形劇に興味を寄せ作家になることを志し、八歳で最初の喜劇を書いたと言われるベネチアを代表する劇作家です。

ビバルディのバイオリン協奏曲集 作品12編(3)

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
バイオリン協奏曲集 作品12編(3)

以下に、作品12のその他の5曲の構成を記します。

2.独奏バイオリンのための協奏曲 第2番ニ短調 RV.244
<第1楽章:アレグロ、第2楽章:ラルゲット、第3楽章:アレグロ>、

3.弦楽のための協奏曲 第3番 ニ長調 RV.124
<第1楽章:アレグロ、第2楽章:グラーベ、第3楽章:アレグロ>。

4.独奏バイオリンのための協奏曲 第4番 ハ長調RV.173
<第1楽章:ラルゴ・エ・スピッカート(アレグロ・モルト・モデラート)、第2楽章:ラルゴ、第3楽章:アレグロ>、

5.独奏バイオリンのための協奏曲 第5番 変ロ長調 RV.379
<第1楽章:アレグロ、第2楽章:ラルゴ、第3楽章:アレグロ>、

6.独奏バイオリンのための協奏曲 第6番 変ロ長調 RV.361
<第1楽章:アレグロ、第2楽章:ラルゴ、第3楽章:アレグロ>。

全体をとおして、演奏にとりわけ難しい技巧性を伴う箇所はないと言われておりますが、1曲1曲にビバルディの熱い情熱が込められたこれらの協奏曲からは、独特のモチーフが感じとられるばかりでなく、ビバルディの協奏曲集の閉めとしては申し分なく完成度の高い曲集であると思われます。

ビバルディのバイオリン協奏曲集 作品12編(2)

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
バイオリン協奏曲集 作品12編(2)

独奏バイオリンのための協奏曲 第1番 ト短調 RV.317の続きとして、第2、第3楽章を記します。

第2楽章ラルゴは、 3/4拍子のト短調です。
最初に17小節のトゥッティがあり、2つのトゥッティの間に独奏パートがはいり、通常のビバルディの協奏曲の第2楽章によく形式化されている表現と思われます。
最後の7小節のトゥッティは、冒頭部のトゥッティが凝縮化されているものと思われます。

第3楽章アレグロは、 3/8拍子のト短調です。
5つのトゥッティと4つの独奏パートから構成されております。
対比的に第1楽章とは相違しており、通常のリトルネロ形式となっております。
また独奏パート美しく艶やかな旋律が含まれており、いつものビバルディの協奏曲らしい構成であると言えます。
また最後の独奏パートの箇所においては、移弦が必要となる特徴があります。

これらビバルディらしからぬ第1楽章を含んだ第1番ト短調ですが、ビバルディを知り尽くしたイ・ムジチ合奏団がどう表現してくれるのか、他の演奏と聴き比べてみるのも興味深いところです。

ビバルディのバイオリン協奏曲集 作品12編(1)

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
バイオリン協奏曲集 作品12編(1)

ビバルディの創作としては、最後の協奏曲集となったこの作品12は、6曲から構成されており、これまでの協奏曲と同様に1曲が3楽章で作られております。

ここでは、とりわけ特徴ある曲として 独奏バイオリンのための協奏曲 第1番 ト短調 RV.317<第1楽章:アレグロ、第2楽章ラルゴ、第3楽章:アレグロ>を主に、ご紹介します。

尚、この曲はバイオリンの教則本で取り上げられている背景もあり、バイオリン演奏を志す方々には言わずともよく知られたゆかりのある曲でもあります。

第1楽章アレグロは、2/4拍子のト短調です、5つのトゥッティと4つの独奏パートから構成されております。

第2と第3トゥッティは、提示されたトゥッティとはまったく相違しており、なぜかビバルディとしては珍しくリトルネロではない形式としているところが1つの特徴となっております。

また、第4のトゥッティで提示されたトゥッティの第1動機を、最後のトゥッティで第2動機の演奏とするなど これまでのビバルディの協奏曲にはほとんど見られないユニークさが見られます。

ビバルディの協奏曲集 作品11編

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
(協奏曲集 作品11編)

ビバルディの偉大な功績として、既にこの時代に協奏曲を確立したことは、これまでに幾度か触れてきましたが、先に紹介した金管楽器であるフルートを主体にした協奏曲のみの創作にはとどまりません。

この作品11では、第1番から第5番が通常のバイオリン協奏曲です。
これに対して第6番では、木管楽器であるオーボエまでを見事に協奏曲として成立させているのです。

全体をとおして言えることは、作品8「四季」ほどの華やかさは感じられませんが、むしろ落ち着きの中に情熱的な旋律が内面から感じられるのが印象的です。

以下に、第1番から第6番までの構成を記します。
1.バイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 RV.207、
2.バイオリン協奏曲 第2番 ホ短調 RV.277、
3.バイオリン協奏曲 第3番 イ長調 RV336、
4. バイオリン協奏曲 第4番 ト長調 RV.3085.
5.バイオリン協奏曲 第5番ハ短調 RV.202、
6.オーボエ協奏曲ト短調 RV.460。

尚、第6番はバイオリン協奏曲集《ラ・チェトラ》作品9-3が、オーボエに編曲された作品として知られていますが、優れたバイオリン奏者でもあったビバルディが、ここでも時代を先取りする創作を試みていることに多大な創作意欲を感じると共に、円熟期に達した巨匠の真髄がよく表現された作品であるとも思われます。

ビバルディのフルート協奏曲集について(2)

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
フルート協奏曲集編(2)

このフルート協奏曲集は、アムステルダムの楽譜出版屋「ル・セーヌ」社から刊行されたと言われます。
出版社も営利を優先せざるを得ないために、風変わりな新しい思考要素を含む楽譜の発行には、大きな賭けのリスクを伴う事態にもなると考えるのが当然だったのです。
しかしながら、「調和の霊感」等を既にビバルディのこれまでの独創的な作品の数々を手かげてきた同社は、ビバルディの新たな取り組みを大いに信頼し、躊躇することもなく快く世に送り出すことに協力した環境があったことも、この曲集が現在広く世に広まり親しまれている根源にあると思われます。

第1番から3番までに続き、以下にその他の第4番から第6番の構成を記します。

第4番ト長調RV.435
<第1:アレグロ ト長調、第2:ラルゴ ト長調、第3:プレスト ト長調>、

第5番ヘ長調 RV.422
<第1:アレグロ・ノン・モルト ヘ長調、第2:ラルゴ・エ・カンタービレハ短調、第3:アレグロ ヘ長調>、

第6番ト長調 RV.437
<第1:アレグロ ト長調、第2:ラルゴ ト短調 第3:アレグロ・モルト>。

これらの3曲は、先の第1番から第3番のように主題は付けられていませんが、弦楽器で開花したビバルディの協奏曲創作の才能を、また異なる角度となる、フルートで垣間見ることができる作品と言えるでしょう。

ビバルディのフルート協奏曲集編(1) 

ビバルディの絶え間ない協奏曲への創作意欲
フルート協奏曲集編(1)
 
史上初のフルート協奏曲集として、ビバルディが音楽史上において偉大な功績を残したと言われている作品の1つです。
その背景として、当時はバイオリン等、弦楽器を独奏とする協奏曲が主体とされていましたが、その当時、時代を先取りした類希なる画期的な作品であると褒め称えられた事実があるからでしょう。

この曲集は、全6曲から構成されており、第1番から第3番までは各々のモチーフからユニークな標題が付けられております。
また第2番(5楽章形式)以外は、すべて3楽章形式で作られております。

以下に、まず全6曲中の3曲の構成を順番に記します。

第1番ヘ長調「海の嵐」RV.433
<第1:アレグロ ヘ長調、第2:ラルゴ ニ短調、第3:プレスト ヘ長調>、

第2番ト短調「夜」RV.439
<第1:ラルゴ、第2:プレスト「妖怪」、第3:ラルゴ、第4:プレスト、第5:ラルゴ「夢」、第6:アレグロ>、

第3番ニ長調「五色ひわ」RV.428
<第1:アレグロ ニ長調、第2:ラルゴ ニ長調、第3:アレグロ ニ長調>

となっております。
これら3曲からは、部分的に少し前に創作された「四季」の曲調を連想させるような旋律が感じ取ることができます。