ビバルディ晩年の活動(3)

ビバルディ晩年の活動(3)挫折の日々

フェルラーラでの新たな興行の着手が失敗に終わり、その後もベンティボーリオ公爵とのつながりを取り持とうと努めるビバルディでしたが、1737年にビバルディは、 フェルラーラのトマゾ=ルッフォ枢機卿から、聖職にふさわしくない生活をしていると言う理由から教皇領フェルラーラへの立ち入りを禁止されてしまいます。

例えば、興行師として自己のオペラ作品を盛んに上演したり、自己の作品を演奏する旅に
頻繁に出かけるなどして聖職者としての勤めを全うしていない等、それはこれまでのビバルディの音楽活動の根本からを否定するものでありました。

また翌年には、聖職者が社謝肉祭に関与するすべての活動を、自分の管轄地域において禁止するなどの厳しい道徳観を誇示する体制を取るようになったのです。

ルッフォ自身は以前より、聖職者のビバルディが司祭らしい業務に従事せず、近隣都市へ自己が作曲した歌劇を上演して演奏旅行するビバルディの活動を非難していたと言われております。

フェルラーラへの立ち入りを禁止されたビバルディは、フェルラーラの興行師に任せてでもフェルラーラでの自己の歌劇の上演に意欲を注ぎこみ、ベンティボーリオ公爵へ何度も手紙を出し、何とか上演にこぎ着けます。

しかしながら、自己で演出を手かげられずに上演されたフェルラーラでのビバルディのオペラは大不評に終わり、興行は完全に失敗してしまいただ絶望に陥り、同年にはピエタを辞職することになってしまうのです。