ビバルディの旅立ち、それは永遠の魂となって(1)

ビバルディの旅立ち、それは永遠の魂となって(1)
~新展地への移住~

1740年、ビバルディはかねてから構想していたウィーンへの移住を決意し、オーストリア南部のグラーツを目指し、6月28日にはウィーンへ到着しています。

この移住の理由には、先に触れたフェルラーラでの惨事などビバルディを取り巻く生活環境の変化などさまざまな背景があったと考えられます。

また同時にこの頃から更に、ベネチアを始めとする近隣都市では、常に新しい音楽の流行を求める風潮が更に強まっており、ビバルディの音楽は過去の産物とみなされるようになっていました。

これにより、残念ながらビバルディの人気は、既に失われておりかつての栄華はとうに失せていたのです。

また長年自己の音楽への飽くなき追従とその創作を、けして止めることなかったビバルディは、自己が確立しようとしていた更に革新的な音楽の理解を、その他の地域へその視野を広げざるを得ない状況にあったことは、ピエタを退職していたこともあり安定した収入も期待できなく、以後の生活をしていくうえでの経済的な事情から、必然的な理由が揃っていたものと考えられます。

おそらく時代の変化という見えない暗闇の中に、自身がまた自己の作品が消えていくようで、それははかりしれない恐怖となっていたのかもしれません。

しかしながら、この時もかつてのように逆境においては逆にこの恐れに対して、時代に打ち勝とうする強い精神力が、またまだ自分はやれるはずだと信じて止まない老体のビバルディを動かそうとする強いエネルギーに変える原動力となったものと考えられます。