バッハの生涯(ミュールハウゼン編)

バッハの生涯(ミュールハウゼン編)

(時代は「若き日のバッハ」から続いています。)
1707年、バッハはアルンシュタットからミュールハウゼンに新しい職を求めて移り住みます。
新天地ミュールハウゼンで、バッハは聖ブラジウス教会のオルガン奏者として迎えられることになったのです。

この聖ブラジウス教会は、アルンシュタットのボニファティウス教会よりも給料が高く、また音楽の質やレベルが高いと評価されているところでもあったことから、バッハは希望に満ちた新しい生活をこの町で始めようとしたのでした。

また聖ブラジウス教会は、当時増加傾向にあったプロテスタント派を継承していた為、ルター派を信仰する家系で育ったバッハがこの教会を選んだのも自然な成り行きと言えるでしょう。

なお、当時の各地の教会は、古い慣習に囚われたカトリック教会を脱し、プロテスタント派を継承する宗派が増加しており、これにより幾種もの教会儀式が増える事にもなりました。

また、バッハが務めた聖ブラジウス教会は、伝統的な音楽を公認するルター派の演奏を認めていない敬虔主義派であった為、バッハにとってはありふれた、つまらない音楽を提供せざるを得ない風習に苛まされるのでした。

なお、この聖ブラジウス教会での採用試験では「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4を演奏し、オルガン奏者の座を得たものと言われております。