バッハの生涯「若き日々のバッハ」(その3)

バッハの生涯「若き日々のバッハ」
アルンシュタットからリューベックへ(その3)

「若き日のバッハその2」から続いています。)

リューベックに長期滞在し、1706年にようやくアルンシュタットへ戻ったバッハは、バロック時代後期の新しい音楽を習得し、これをボニファティウス教会でも試行してみようと考えるのでした。

しかしながら、アルンシュタットでバッハを待ち受けていたのは、長期休暇に対する厳しい聖職会議からの非難と、バッハが試行しようとした新しい音楽への批判だけでしかありませんでした。

当時の礼拝の讃美歌にしては、場違いな即興演奏が含まれたり、また装飾が派手な伴奏があったり等で、聴衆に不快な心境を起こすような取り組みとみなされていたものと思われます。

バッハにとっては、自己が信じる新しい音楽がなぜ受け入れられないのか考える余地もなかった事でしょう。

しかし一方で、伝統と格式だけを重んじる風潮があるアルンシュタットとは、既に目に見えた温度差があったという事は言うまでもなく、バッハ自身がこれに気付くのには、そんなに時間掛からなかった事でしょう。

こうして若き日のアルンシュタット時代は、バッハとしては残念ながらかなり不完全燃焼で終わり、この地をあとにするのでした。