カンタータとビバルディの功績

カンタータとビバルディの功績

1716年ベネチアにて初演されたオラトリオ「勝利のユディト」が成功を治めたにも関わらず、ビバルディは1718年にピエタ養育院の音楽教師としての契約を成立させることができなく、止むを得ず新展地マントバへ赴くことになります。

マントバでは芸術、とりわけ音楽をこよなく尊重したと言われたヘッセン=ダルムシュタット方伯のフィリップ公より宮廷楽長として迎えられました。
またこのマントバでビバルディは多くのカンタータを創作しており、ここでもヨーロッパ中に名声を広げていくことになります。ここでは、まずカンタータについて触れておきたいと思います。

カンタータとは、独唱、合唱などに器楽や管弦楽による伴奏付の大規模な声楽曲となります。典型的なカンタータは、ビバルディがマントバで活躍した半世紀程前にさかのぼる17世紀の後半にイタリアで作曲されたレチタティーボとアリアからなる独唱と通奏低音のための歌曲であったと言われ、初期の頃は様式的に確立していなく、単一のアリアからなる「アリエッタ・コルタ」と、歌詞に応じてアリアとレチタティーボが使い分けられる「アリエッタ・ディ・ピウ・パルティ」とに分類されております。