マントバでのビバルディは、病弱な身であったにも関わらず1719年に歌劇「ティート・マンリーオ」(RV.738)を創作するなど、ベネチアよりも意欲的な作曲活動が見られたようです。
実際、「ティート・マンリーオ」は長編オペラとなる作品でしたが、わずか1週間内で創作し、手書きの楽譜を完成させたとの逸話が残っています。
なお、ビバルディがマントバでカンタータを作曲したのは18世紀初期でしたが、まさに17世紀後半から18世紀初期には、音楽全般の形式がより進歩した時期でもあり、近代的な要素が目に見えて表現されるようになります。
一方、この動きに連動してカンタータ自体も、レチタティーボとアリアがより識別化される傾向になり、アリアは1つの独立した楽章形式となって、より広がりをみせる構成になっていきました。
また以下に、ビバルディのカンタータを更に6曲ほど記します。
13.「遅かったのに」RV.662、
14.「小枝に戯れ」RV.663、
15.「心なく生きるも」RV.664、
16.「物思いにふけらず」RV.665、
17.「憧れの瞳よ」RV.666、
18.「天に紅の光立ち」RV.667、
などがあります。