ビバルディの生涯「円熟期の活動」

ビバルディの生涯
「円熟期の活動」について

「12曲のバイオリン協奏曲集」にて、ビバルディは作曲家としての才能をあますところなく発揮し、パリでは先に触れたルイ15世がこの曲を高く評価し、ベルサイユ宮殿などで頻繁に上演したことから、ビバルディの名声はより世に広まったと言われております。

が、それでも以後1726年から28年まで謝肉祭の時期になると、ビバルディはベネチアのサンタンジェロ歌劇場の主任作曲者を務めるかたわら、ベネチア以外の近隣都市での自分の作品の上演に力を注いでいきました。

そんな中、1727年に上演した歌劇「ヒュペルメストラ」RV.722が好評となり劇場に多大な利益をもたらすことになります。

その他、歌劇「ファルナーチェ」RV.711や、歌劇「怒れるオルランド」RV.728を作曲するなど,依然として活動的な作品の創作、および興行師として劇場での自己作品の上演等をナポリやフィレンツェなどの各都市で継続していくのでした。

また同時にこの頃より、旅から旅へと音楽活動する生活が続いたこともあり、ビバルディの健康状態は少しずつ悪くなっていった時期でもありました。

一方、ベネチアでは、昔から常により新しい音楽を求める気質があったことから、ビバルディの人気ぶりは残念ながらかつての勢いは無く、次第にうつろいでいくこととなります。
こうして時は、同時にビバルディにとって円熟期へと移っていきます。