バッハの生涯「新しい生活の始まり」(リューネブルク編1)

バッハの生涯「新しい生活の始まり」(リューネブルク編1)

1700年3月、バッハは15歳になるとリューネブルクの聖ミカエル協会学校の付属音楽学校に入学します。

この音楽学校入学のきっかけは、前にも触れたバッハの生活環境に関係しておりました。
けして恵まれた暮らしではなかったバッハが、音楽の勉強をしながら聖歌隊で歌を歌うことで給料が支給されるというバッハにはうってつけの好条件であったからです。

また、リューネブルクには、ドイツ出身の作曲家ゲオルグ=ベーム(1661-1733年)が、聖ヨハネ教会でオルガン奏者を務めておりバッハとの交流がありました。

ベームは、鍵盤楽器の作曲家として名が知られており、オルガンのための前奏曲やフーガや、カンタータ(声楽曲)、チェンバロのためのパルティータを作曲しており、バッハにも影響を与えたと言われております。

また、バッハは、オルガンの演奏技巧だけに留まらず、その当時ピークを迎えていたオルガン製作技術にも関心を持ち、教会のパイプオルガンの音質に関わる構造、材質などに至るまで勉学熱心であったと言われており、若い頃の好奇心旺盛なバッハの意欲がよく感じられる一面であると思われます。