バッハの生涯「オルガニストのバッハ」(アルンシュタット編)

バッハの生涯「オルガニストのバッハ」(アルンシュタット編)

18歳にして最初の挫折に遭遇し、辛酸を舐めるような日々を過ごしてきたバッハでしたが、1703年には気丈にもヨハン=エルンスト公2世の宮廷楽団にバイオリン奏者としての入団することとなりました。

これを境に、臨時のオルガン奏者等の経験を積み重ねたこともあり、同年にはアルンシュタットに建立された新しい教会(ボニファティウス教会)において専任のオルガン奏者に就任することになったのです。

きっかけは幾つかあり、この教会に設置された新しいオルガンの為の演奏者が募集された経緯があり、この試験演奏でバッハは大成功を収めたことによりますが、この地を基盤としていたバッハ一族の推薦があったことが、その成功の陰にあったとも言われております。いずれにしても、この様に自己で運命を切り開き積極的で、けして諦めないバッハの姿勢には感銘するばかりです。

なお、ヨハン=エルンスト公2世(1696-1715年)は、ザクセン=ワイマールの領主であったヨハン=エルンスト公1世の息子で、オランダに留学するなどの経験を持ち、バイオリン、クラービアを演奏し、バッハからも作曲の手解きを受けました。
天才ぶりを発揮した貴公子でしたが19歳という短命で世を去った人物です。

またエルンスト公2世は、6曲のバイオリン協奏曲を作曲しており、バッハはこれらをオルガン用(BWV592~597)、チェンバロ用(BWV982,984,987)に編曲しております。