バッハの生涯「若き日々のバッハ」(その1)

バッハの生涯「若き日々のバッハ」
(アルンシュタットからリューベックへその1)

アルンシュタットで約3年程、定職に就いていたバッハでしたが、オルガン奏者としてだけでなく、聖歌隊の音楽教育指導も任せられるようになります。

オルガン奏者、オルガンの維持保守の仕事は、バッハにとってそれほどの苦ではなかったのですが、しかし、この聖歌隊での教師職は、まだ当時若いバッハには手を焼く仕事であったようです。

音楽の理解力も乏しく、学校の規則も遵守できない生徒が多かった為、バッハは忍耐を重ねる毎日であるばかりか、怒りすら覚えるようになり、次第に不満が積もっていくのでした。

そんな中バッハの人生を思いも寄らない方向へと変えていくきっかけとなったのが1705年の出来事でした。

アルンシュタットから、400kmもはなれたリューベックで当時のオルガン奏者としては最高峰と言われていたディートリヒ=ブックステフーデ(1637-1707年)が演奏会を開催する事を聞きつけ、いきなり4週間の休暇をとって、ブックステフーデの演奏会ばかりか、リューベックの音楽界にも夢中になり、この町に長期に渡り滞在したと言われております。