バッハの生涯(ミュールハウゼンからワイマールへ)

バッハの生涯
(ミュールハウゼンからワイマールへ)

ミュールハウゼンに在住後期のバッハは、聖ブラジウス教会のオルガンの段数を増やすなどの改造試みたりして独自の音楽感を教会から広めようとする活気があふれた一面がありました。

しかし1708年には、突然ワイマールで宮廷のオルガン奏者となることを決めミュールハウゼンを去りワイマールへ移住することになったのです。

一方でカンタータの創作にも力を注いでおり、通奏低音の主体にオルガンを起用する構成を用いたり、対位法という演奏楽器のパートや合唱、独唱パート各々のパートが独立した旋律で、これらを調和させながら折り重ねていくことで音に深さを持たせる効果がある方法を用いるなど、この頃からバッハの創作技法の基礎が表れてくることとなります。

また、ワイマールではバッハの音楽をよく理解しカンタータの歌詞を提供していたとされる人物にも恵まれることにもなり音楽家としても平穏な生活をおくるのでした。

この頃、ワイマールでもオルガンの改造を考案し、度々それらの新しいオルガンの試験演奏を実施し演奏家としてだけではなく、技術的な構造とその維持のうえでも特別な専門家として、認められるようになっておりました。