ケーテンでのバッハの創作活動とその環境について

ケーテンでのバッハの創作活動とその環境について

さて、ここではケーテンでのバッハの創作活動について、もう少し掘り下げて紹介していきます。

当時のバッハは、既に音楽家(作曲家)として、オルガン演奏者として、その並はずれた才能が高く評価されるようになっており、この時代の音楽家のレベルを超越した存在であったと言われています。

また、その作曲ジャンルも多種多様で、教会での礼拝用、宮廷の音楽会やイベント用、またはバッハの家族・親戚のみならず、弟子達・友人達の練習曲用など、さまざまな場面に及んでおり、これらは今尚、色焦ることなく世界の人々の心を掴んで離さないのです。

ただ、この時代にはまだ楽譜の出版による文明開化は、まだ当時のドイツにはありませんでした。

その為バッハの作品の多くは、自身による印刷にてこの世に姿を表したものとされています。しかしながら、これらが友人達や弟子達に手渡され、持ち主以外の所有品になると、手書きの楽譜としてその姿を変えていくのでした。

近代に、運よく発見されてきたバッハの作品の多くはこのような手書きのものが多いのもそのような背景があったからなのです。

また、1719年には、当時既にイギリスで「水上の音楽」を出版するなどして大きな成功を成し遂げていたゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル(1685~1759年 )が、音楽活動の一環としてハレに来独していることをバッハは知り急いで駆けつけたとの史実が残っており、当時のバッハは我々現代人が知る由もないほどヘンデルを尊敬していたことが分かってきているのです。

このように、好奇心旺盛なバッハはヘンデルの影響をどこまで受けたかは別として、その創作活動において充実した日々を過ごしていたものと思われます。