バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(5)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その5)
第4曲 アリア「わがすべての最たるもの」 変ロ長調、3/8拍子

4曲目は、テノール・弦楽器・通奏低音で演奏されます。弦楽器によるパスピエの冒頭でひときは美しい旋律が奏でられ、解放感にあふれた歓喜を表現しています。

なお、パスピエとは、17世紀から18世紀の古典舞曲で、ブルターニュに起源を発し、17世紀にパリで大流行した経緯があります。

「パスピエ」という語は、「通行する足」の意味であり、この舞曲に特徴的な軽やかなステップを言い表すものでした。

また古い時代は、8分の3拍子ないしは8分の6拍子の速い旋舞であり、先に触れたジグにも類似していたものと言われております。

歓喜から一変して、現世からの離別を告げるパートでは、何とも落ち着いた和やかな下降音による旋律が数小節ほど続けて奏でられており、その前の上昇音を主体にするテノール独唱とは相対象的に構成されている表現が、わかりやすく聴いて取れるのが印象的であると思われます。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(4)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その4)
第3曲 レチタティーヴォ「わがイエスよ、我を導きたまえ」

3曲目は、バス・弦楽器・通奏低音で演奏されます。
曲中においてまず気になるのが、複数の弦楽器音の旋律に乗せて、その存在感をアピールするかのような濃厚さ、または力強さが感じられるレティタティーボが含まれている個所です。

またゴルダゴの山頂にて、十字架に架けられたイエスに後光が指し少しずつ変容していく情景と共に、この世の未練を断ち切り十字架に導かれる道を信じて願いを込める気持ちを暗示するパートでは、曲の調子も徐々に激しくなっていき、バッハの絶妙な創作技法がこの情景とうまく調和しており、この曲の聴かせどころになっている箇所であるかと思われます。

またこの後、喜びに満ちあふれて晴々しくエルサレムへ旅立つイエスの姿を、歌詞の1音節に対して、いくつかの音符を当てはめるような曲付けの仕方にと共に、数回程に渡り変調を繰り返していきながら、躍動的な旋律を経て圧倒的なスケールで聴かせられるうちに壮大なこの3曲目の終止を迎えるのです。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(3)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その3)
第2曲 アリア「わがイエスよ、我を導きたまえ」ト短調、9/8拍子

アルト、オーボエ、通奏低音で演奏されます。
2曲目は、穏やかにジグを奏でるオーボエの旋律を主体にして、イエスを平穏無事にエルサレムへ導くようにとの祈りが込められています。

またアルトの独唱の旋律は、曲の至るところで同音の継続が含まれた構成となっています。
第1曲 の「アリオーソと合唱」で見られたオーボエのオブリガートの特徴が、この2曲目のアリアにも続いており、この共通性を見つけることができるところには興味深いものがあります。

ここで、ジグについて少々触れておきます。
ジグとは8分の9拍子または、8分の6拍子の舞曲のことで、イギリスやアイルランドの民俗舞踊形式の一つで、別名ジーグ とも呼ばれており、よくバロック組曲の最終曲にて構成され、される特徴があります。

なお、印象的なのはキリストが救いの精神で自ら受難に立ち向かっていこうとする状況を表現する為に、協和性の低い不安定な和音の旋律が含まれている個所であるかと思われ、何とも自然に慈悲深さを感じることができる曲であると思います。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(2)

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その2)
第1曲 「アリオーソと合唱」ト短調、4/4拍子

1曲目は、テノール・バス・オーボエ・弦楽器・通奏低音・合唱により演奏されます。
曲自体は、受難を予告したイエス(バス独唱)が、自分の複数の弟子達(コーラス)に「見よわれらエルサレムへ上る」と悟りを語る名高い聖書の一場面をモチーフに、バッハが独自の主情的な旋律にて創作したものです。

まず弦楽器が、オーボエで奏でられる独奏音のオブリガート(主旋律と同様に重要な伴奏のパート)を反復する旋律があり、この形式がたびたび登場してくるので初めて聴いても比較的、馴染みやすい曲想であると言えます。

また聖書の引用部分の場面においては、テノールによる解説でレティタティーボが独唱されると、早々に流麗なバス独唱による福音がとって代わり、弦楽器を主体とする楽器群の伴奏が続いていきます。

しかしながら、これと対照的にソプラノ独唱によるフーガの主題が始まると突然これらの伴奏を奏でる楽器群は、これまでの旋律を一旦終止し途切れさせながらもこれを反復していき、イエスの意図することを理解しきれない弟子達の躊躇や迷いを表現しようとしているのではないかと思われます。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その1)

バッハは1717年にケーテンに移住します。
しかしその間もなく、1720年には愛する妻マリーア=バルバラが病により突然、この世を去ることになるのです。

それでもバッハは最愛の妻を失いながらも、自ら悲しみから逃れようとするかのように、次々と新作を作曲するのでした。

「6つの無伴奏バイオリンソナタ」、「6つの無伴奏チェロ組曲」などがこの時期の代表的な曲となります。
これらの曲については、後に触れていきたいと思います。

この第22番は、1723年にバッハがライプツィヒ市にある聖トーマス教会におけるカントルの採用試験で演奏した曲であると言われております。

曲の構成は、四旬節の礼拝で演奏される形式です。またこのカントルの試験では、『汝まことの神にしてダビデの子よ』 BWV23も同時に演奏されております。

BWV22が新しい様式のカンタータを指向しているのに対して、BWV23は古い様式のカンタータとなっています。

しかしながら、現代でも広く世に知られている曲であるにも関わらず、実際に演奏される機会は極端に少ないのが現状であるのは残念なところです。      

バッハの生涯(ワイーマールからケーテンへ)

バッハの生涯
(ワイーマールからケーテンへ)

順調と思われたワイマールでのバッハの生活ですが、1717年に事態が急速に変わってしまいます。

ワイマールでのバッハの雇い主であったウィルヘルム=エルンスト公(1662- 1728)が、自由な音楽活動を禁止する規制(イタリア風の音楽を演奏するなどの)を強引に制定する姿勢を取るようになったことが引き金となります。

バッハにとっては、常に新しい音楽を取り入れる機会でもあった唯一の場でもありました。
しかし、これを不服に思っていたバッハはこの規制を遵守できるわけもなく、2度の辞職願いを宮廷に提出するも、挙句の果てに牢獄に拘留されるにまで発展しました。

もともと、このエルンスト公は市民には厳しい統治者でもありましたが、一方ではバッハを宮廷の音楽がとして高く評価していた事実もあります。

それを物語るのが1回目の辞職願いに対してこれを阻止しようと、旅行に行くことを公認するなどして、ある意味自由な活動を認めようとして、バッハの心を引き留めようとした逸話が残されています。

本来、ザクセン地方を共同で統治していたウィルヘルム公の甥エルンスト=アウグストス(1674-1728年)との確執争いが主体となった事態だとバッハも周知していた一面もあったようですがウィルヘルム自身が、自由な音楽活動を提唱していたアウグストスにバッハを奪われたくなかった心境にあったのではないかと思われます。

こうしてバッハは、ワイマールを去り新天地のケーテンへ移住しアンハルト=ケーテン公であったレオポルトの宮廷楽長の座に就くことになったのです。

バッハの生涯(ミュールハウゼンからワイマールへ)

バッハの生涯
(ミュールハウゼンからワイマールへ)

ミュールハウゼンに在住後期のバッハは、聖ブラジウス教会のオルガンの段数を増やすなどの改造試みたりして独自の音楽感を教会から広めようとする活気があふれた一面がありました。

しかし1708年には、突然ワイマールで宮廷のオルガン奏者となることを決めミュールハウゼンを去りワイマールへ移住することになったのです。

一方でカンタータの創作にも力を注いでおり、通奏低音の主体にオルガンを起用する構成を用いたり、対位法という演奏楽器のパートや合唱、独唱パート各々のパートが独立した旋律で、これらを調和させながら折り重ねていくことで音に深さを持たせる効果がある方法を用いるなど、この頃からバッハの創作技法の基礎が表れてくることとなります。

また、ワイマールではバッハの音楽をよく理解しカンタータの歌詞を提供していたとされる人物にも恵まれることにもなり音楽家としても平穏な生活をおくるのでした。

この頃、ワイマールでもオルガンの改造を考案し、度々それらの新しいオルガンの試験演奏を実施し演奏家としてだけではなく、技術的な構造とその維持のうえでも特別な専門家として、認められるようになっておりました。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」その2

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565(その2)

これほど有名な「トッカータとフーガニ短調」BWV565ですが、あるいは有名であるせいか興味深い逸話があります。

実は、この「トッカータとフーガニ短調」はバッハ以外の人物が作曲したのではないかという説があるのです。
以下に、その理由とされている内容を記します。

1つ目は、先にも少々触れましたが、フーガの書き方がバッハとしては、異例な形式である点になります。
例えば、主題部が単独で提示されるフーガとなっており、また短調の変終止で終わるフーガがバッハの全生涯の作品において、そのような例が見られない点があることです。

2つ目は、解釈の仕方によっては減七の和音の効果や技巧の誇示が顕著に認められることです。

3つ目は、未だに、バッハの自筆譜が見つかっていなく、さらに現在最古とされている楽譜(筆写譜)が1700年代の後半のものであり、この頃バッハ既に他界入りしているので時代背景が合っていないことなどが挙げられます。

以上の様な内容から、「トッカータとフーガニ短調」の真の作曲者は、ペーター=ケルナー(1705-1772年)とされている説があるのです。

このように、バッハ自身の作品であるのか否かとの観点で、バッハのその他のフーガ技法とは異なるのが、バッハの初期の作品であるからであるとの理由は成立し兼ねるのかもしれませんが、個人的には紛れもなくバッハの作品であるものと考えたいところです。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565(その1)

バッハのカンタータを紹介してきている途中となりますが、アルンシュタット時代あるいはミュールハウゼン時代に作曲されたと推測されている「トッカータとフーガニ短調」BWV565を紹介します。

実際には、正確な作曲年数は解明されていませんが、おそらく(1707~1718年頃)であろうと言われております。

「トッカータとフーガニ短調」は、世界で広く知られている多くのバッハの作品のうち、最も代表的なオルガン曲で、特に人気の高い作品のひとつでもあります。

なお「トッカータとフーガニ短調」は、大きく分けて、トッカータ部とフーガ部にて構成されています。

トッカータ部のその冒頭は衝撃的な旋律で始まり、小刻みに音程が変わり、比較的早いテンポで端切れよく演奏されますが、どこか重々しくかつ荘厳な音程が特徴的です。

フーガ部は、バッハ初期の作品でもあるせいか、旋律がどちらかというとシンプルな構成であり強いインパクトはそれほど無いと感じられますが、強音、弱音が連続性を持つことで、曲に厚みを持たせていると思われます。

原曲は、オルガンではなくバイオリンであると言われておりますが、現代ではピアノで演奏されることもしばしばで、自己の悲しみを表現する場において他者に共感を得ようとするモチーフで広く親しまれてもいる点がユニークであると思われます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(9)

カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その9)
第8曲 第7変奏「われら食らいて生命に歩まん」

4/4拍子で構成されており、合唱・弦楽器・通奏低音で演奏されます。 

この曲では、生命の根源である食に育まれて、明日への生命をつなぐことができる人類が再び神への感謝の意を表す小規模なコラールの歌詞が荘厳に合唱されます。

またこの合唱では、先に触れたマルチン=ルターの讃美歌が、非常に精妙で緻密なバッハ独自の旋律に載せられていることにより、聴く者達はダイレクトに2人の天才の心の叫びをを聴いているかの様な心境に陥いっていく面持ちに感じられるのです。

なお、この第4番の8曲目のように、バッハがカンタータの最後にコラールを設定し最終節とするのは、バッハ後期のカンタータの作品に見られる形式であると言われております。

その為、当初はこの第4番はミュールハウゼンで作曲されたものとされており、以後最終節のコラールが1724年頃すなわちバッハのライプチヒでの活動(再演奏)の時期に追加されたものではないかと考えられております。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(8)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その8)
第7曲 第6変奏「かくて我ら尊き祭を言祝ぎ」

第6曲目では3/4拍子でしたが、再び1曲目から5曲目と同様に4/4拍子に戻る構成となっており、ソプラノとテノールの独唱と通奏低音で演奏されます。

冒頭から、三連符によるリズムの構成が主体となっております。

ここでは、目に見えない敵と格闘する前の恐怖心から、戦いに打ち勝った後に湧き上がる喜び、解放感を表現しており明るさが感じられます。

なお、三連符とは、基本的な音符を3等分するためのもので、原音符の2分の1の音価の音符を3つ並べ、3の数字を付す形式となります。

始めにソプラノ独唱が、そしてこれを追うようにテノールの独唱が続くカノン(追複曲)が取り入れられており、第5曲の冒頭でのテノールとアルトのそれを思わせる様です。

節の末尾では、ソプラノとテノールが一緒に三連符のメリスマ(シラブル様式である1音節対1音符で作曲されている部分に、2つ以上の音符を用いて歌うこと)が出てくるのが特徴です。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(7)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その7)
第6曲 第5変奏「まことの過越の小羊あり」

これまでの第1曲から第5曲までとは相違し、唯一3/4拍子での構成となっており、バスの独唱弦楽器、それから通奏低音で演奏されます。

人類が「死」に打ち勝った背景に、イエス=キリストの犠牲があった旨を告げる個所は2つの節で構成されています。

讃美歌の旋律がバスにより朗誦され、複数のパートが同じ音程で同じ旋律を演奏するユニゾンの旋律が弦楽器で演奏され、リフレイン形式(楽曲の形式のひとつで、主だった旋律の前にそれと同等かそれより長い前語りを持つ楽曲の形式)で反復されていきます。

また犠牲を伴いながらも力強く格闘した「死」との戦いを回想するパートの旋律では、バスが怒りと憎しみをぶつけるかの様に独唱すると共に、弦楽器がこのバスを華々しく後押をしていく箇所がありますが、劇的な旋律の流れが印象的です。

また、最終節のハレルヤでは、低音域での高低の変動があり、もはやバスの音域を超えていると思われるパートがあるのもこの曲の特徴であると言えます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(6)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その6)
第5曲 第4変奏「世にも奇しき戦起こりて」

4/4拍子の構成で、合唱・通奏低音にて演奏されます。
冒頭では、テノールが独唱し、これをカノン(楽曲様式における追複曲)の技法によって、その途中でアルトにより曲の主旋律が奏でられていきます。

印象的なのは、半音階により劇的な音の変動による効果を用いるなどして再び「生命」と「死」の格闘を表現する歌詞が歌いあげられていきます。

「生命」を維持しようとする人類との戦いに敗れ去った「死」に対してののしる様子が、絶妙なバランスで合唱されており、聴くものの心を捉えていきます。

そして最終節の主をほめたたえる「ハレルヤ」では、安堵感だけでなく、どこか満ち足りた人類の喜びと共に、その旋律から優越心のようなものすら感じとることができます。

また、ここではとりわけルターが創作した歌詞にバッハらしい旋律とその構成がうまく融合しているこの曲の特徴がよく表現されているパートであると思われます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(5)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その5)
第4曲 第3変奏「イエス・キリスト、神の御子」

4/4拍子の構成で、テノールの独唱・バイオリン・通奏低音により演奏されます。
突然嵐のようにけたたましく鳴り響く伴奏が、冒頭を飾ります。

死という人類の永遠の恐怖に対して戦い抜こうと誓う強い精神力を表現しながらも、イエス=キリストを称えるという歌詞が奏でられます。

これに続いて、快活なテノールの独唱が始まりますが、このテノールの旋律は讃美歌を基本とした構成となっており、また合唱では、人類が生きる証としての「生命」と恐れを抱き続ける「死」へ想いの戦いが激しく競い合う対位法による創作が織り込まれているところに、その特徴があります。

そしてこの激しい伴奏が、これまでの旋律を一掃するように静まり変えると、人類との戦いの果てに討ち裂かれた死の残骸を表現する旋律が淡々と歌い上げられます。

そして曲のクライマックスとなるハレルヤでは、神が人類の身代わりになったことを受け救われ、人類が神の御加護を受けて死に打ち勝った喜びと神への感謝の意を表す合唱が響き渡るのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(4)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その4)
第3曲 第2変奏「死に打ち勝てる者絶えてなかりき」の解説

4/4拍子の構成で、ソプラノ・アルトの2重唱・通奏低音で演奏されます。
下降音型を基本とする「オスティナート」伴奏に合わせて、死を免れることができない人間
の罪を嘆き苦しむソプラノ、アルトの二重唱が澄みわたります。

この二声は時おり不協和音を織り込みながらも、すべてをあきらめたかのような感覚を暗示する物静かな歌を奏でていきます。

しかしながら、人間が死の恐怖を感じて苛まされるという暗いモチーフを歌っているにも関わらず、ひときわ煌びやかさすら感じる事ができる旋律の美しさが、このソプラノとアルトの二重唱に表現されているのではと受け取れます。

なお、「オスティナート」とは、ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事です。
音楽技法では、少なくともある種のリズムパターンの反復が行われますが、最も典型的なオスティナート技法では、リズムのみでなく音程や和声も反復される場合が多いのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(3)

カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その3)

第2曲 第1変奏「キリストは死の縄目につながれたり」の解説

4/4拍子の構成で、合唱・弦楽器・通奏低音で演奏されます。
特徴としては、前奏が無く、いきなりソプラノのパート旋律から合唱が始まります。
また、ハーモニーとなるアルト、テノール、バス(下三声)の伴奏は、節ごとに大きく様相を変えていきます。

半音階降下は、「人の罪を背負って繋がれたイエスを悼む」に用いられます。
突き上げる上昇音、「復活と新たな生命を授ける奇蹟を歌う」復活を暗示する表現とされています。

また伴奏楽器にも、「復活を喜ぶ人々の歓呼を激しい走句のリレー」として引き継がれいく形式となります。

テノールを始まりとするポリフォニー(多声音楽)で、感謝の言葉はで歌い継がれ、最終的にアレグロの「ハレルヤ頌」の応酬へと高まり、圧倒的な合唱の力量感が漂う曲調となっております。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(2)

カンタータ第4番
「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その2)

第1曲 シンフォニア
4/4拍子の構成で、弦楽器と通奏低音で演奏されます。

重苦しい弦楽演奏から始まり、全体をとおして2部編成の重厚な伴奏のビオラに加えて、第1バイオリンが深い悲しみを表現するような旋律を奏でている特徴があります。

また、一部のバッハ研究家からはバッハの受難観が織り込まれている構成であると評論されている内容があります。

具体的に、コラールの旋律がはめ込まれたわずか14小節の間に秘められた思いが、作曲者バッハの意図する事であると考えられており、BACHのアルファベット4文字の序数を合計していくと14となることから(B=2、A=1、C=3、H=8、A+B+C=14)、そのような数値上での曲の構成をバッハが故意に形式化していたのではないかと考えられるのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」

カンタータ第4番(その1)
「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4

バッハの「カンタータ第4番」の原曲は、宗教改革で知られるマルティン=ルターが(1483~1546年)、1524年に作詞しラテン語の賛美歌「過越の生贄を讃美せよ」の旋律にはめ込んで、作曲まで手掛けたコラールが元になっております。

バッハは、ルターのこのコラールの歌詞をそのままモチーフに使用し、原曲のコラールの旋律を組み込むことで、全8曲から構成される変奏曲として創作しています。

また全8曲がホ短調で統一されている特徴があります。尚、ホ短調とは楽譜上の五線譜において、最上段になる第五線にシャープが書き込まれている形式となります。

またこの形式は、ドイツではシャープが「十字架」と呼ばれていることから、神が唯一であり神を高くかかげる十字架を象徴するために、この調性を選んだものと考えられます。

なお、現在伝わる最古の資料は、1724年か1725年の再演のために書き直されたパート譜と言われております。また初演および作曲時期について広く知られている仮説は、クリストフ=ボルフらが唱えた1707年説で、ミュールハウゼンへの就職試験のために作曲されたものとされています。