6つの無伴奏バイオリンソナタ 第6曲「パルティータ第3番ホ長調」(その8)

6つの無伴奏バイオリンソナタ 
第6曲「パルティータ第3番ホ長調」BWV.1006(その8)

第6曲「パルティータ第3番ホ長調」BWV.1006は、話題豊富な曲でもあるので、前回に続いて
もう少々触れてみたいと思います。

この曲の、第1楽章のプレリュードと第3楽章のガボットとロンドは、リサイタルなどでは単独で演奏される機会がよくある程の曲で、バッハの作品であることを知らなくても、誰もがどこかで耳にしたことのある曲の1つであるとの印象を持つことでしょう。

バッハ自信もこの曲のできの良さに満足していたのか、BWV.1006aにてリュートあるいはハープによる変奏曲を創作しているのです。

個人的に興味深いのは、第6楽章のジグです。
ジグは、このような組曲では終曲に配置するのが一般的でメジャーな手法であるのです。

この点、バッハも敢えてこのような流行を取り入れているところにも意外性を感じ取ることができます。

ジグは、元々は早いテンポのフランス風潮の影響を受けたフーガの技法で、曲の締めくくりには最適であるものとバッハ自信も共感していたものと思われます。

ここでの演奏は、ギドン=クレーメル(1947年、ラトビア(旧ソビエト連邦)出身の希に見る巧みな技巧能力を持つ名バイオリニスト)、イツァーク=パールマンの双方で甲乙つけがたいので、双方で聴き比べてみることをお薦めします。


6つの無伴奏バイオリンソナタ 第6曲「パルティータ第3番ホ長調」(その7)

バッハの6つの無伴奏バイオリンソナタ 
第6曲「パルティータ第3番ホ長調」BWV.1006(その7)

この曲集のパルティータとしては、最後の曲になる第3番は、次の6楽章形式で構成されています。

第1楽章「プレリュード ホ長調 、 3/4拍子」、
第2番「ルール ホ長調、 6/4拍子」、
第3楽章「ガボットとロンド ホ長調、2/2拍子」、
第4楽章「メヌエット ホ長調、3/4拍子」
第5楽章「ブーレ ホ長調、2/2拍子」、
第6楽章「ジグ ホ長調、6/8拍子」となっています。

この曲の特徴は、全6楽章がホ長調で構成されている為か、全体に華麗な旋律を基調としながらも明朗な曲調が随所に見られるところにあると言えるでしょう。

また、1つ前のパルティータ第2番二短調と同様に、全6曲の中でもバッハの作品においても名高い曲であり多くの人々に愛され続けているのです。

特に、第1楽章のプレリュードと第3楽章のガボットとロンドは、人気があり、ラフマニノフ(1873-1943年 ロシア:旧ソビエト連邦)もこの曲の1部を編曲している程です。
また名演奏家達が、競って自己の技巧性高い演奏を録音しています。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」 第5曲「ソナタ第3番ハ長調」(その6)

6つの無伴奏バイオリンソナタ 
第5曲「ソナタ第3番ハ長調」BWV.1005(その6)

この作品集で3番目となるソナタも、第2番と同様に4楽章形式からなる曲の構成となっていま
す。

この曲の特徴は、第2番ほど旋律に華やかさは見られませんが、6つの無伴奏バイオリンソナタの曲集の中で、唯一の長調で作られているところにあります。
また、典型的な教会ソナタの形式の影響を色濃く映し出している曲であると言えます。

第1楽章は「アダージョ・ハ長調、3/4拍子」、第2楽章は「フーガ・ハ長調、 2/2拍子」でここで登場するフーガは354小説からなる長大なものです。
またこのフーガは、バッハの全ソナタの中でも最も長大で、この曲の最大の魅力でもあり、聴くものを圧巻させるところがあるのです。

第3楽章「ラルゴ・ヘ長調、4/4拍子」、第4楽章「アレグロ・アッサイ、 3/4拍子」となります。
またフーガの主題になっているのは、古く名高いコラール「来たれ、聖霊よ」を用いられており、バッハの精巧で緻密な音楽感を表現する為の効用効果がよく表現されているものと思われます。

ここでの演奏は、ギドン=クレーメルも良いのですが、個人的にはイツァーク=パールマン(1945年:イスラエル出身のバイオリニスト、20世紀最大のバイオリニストと称されている)の演奏をお薦めします。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」 第4曲「パルティータ第2番ニ短調」(その5)

バッハの6つの無伴奏バイオリンソナタ 
第4曲「パルティータ第2番ニ短調」BWV.1004(その5)

この作品集で2番目のパルティータですが、他の曲には無い特徴が幾つかあります。
まず曲の構成が5楽章形式であり、全5曲が二短調で作られているところです。
また、全6曲の中でも、一番広く親しまれている曲でもあり、第5楽章の「シャコンヌ」は、後にピアノの演奏用に編曲されており特に名高い曲でもあるのです。

各々楽章は、第1楽章「アルマンダ 二短調 4/4拍子」、第2楽章「コレンテ 二短調 3/4拍子」、第3楽章「サラバンド 二短調 3/4拍子」、第4楽章「ジガ 二短調 12/8拍子」、第5楽章「シャコンヌ 二短調 3/4拍子」となっております。

なお、第5楽章のシャコンヌは、全部で257小節からなる非常に長い構成で、特定の低い音、執拗音型を用いた変奏曲であるところから、その名称の由来があるとされています。

音楽史においては17世紀までその多くが快活な3拍子の舞曲的な位置付けにありました。
またバイオリンの特性を踏まえながらも、多種多様な演奏技巧が含まれており、同時に深い精神的要素、また宗教的な崇高さが感じられるのがこの曲の特徴でもあります。

特に、演奏における技巧性が要求される主題旋律は、三重音・四重音を多用している為に、非常に難易度の高く、バイオリニストの演奏技術や表現力の豊かさが問われる曲でもあるのです。

この演奏は、数ある名演奏の中でも、特にナタン=ミルシティン(1903-1992年:ウクライナ出身のアメリカのバイオリニストで、バイオリンの貴公子と称された。)で聴いてみることをお薦めしたいところです。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」第3曲「ソナタ第2番イ短調」(その4)

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」
第3曲「ソナタ第2番イ短調」BWV.1003(その4)

この作品集で2番目のソナタも、やはり以下に記す4楽章構成でできています。

第1楽章「クラーベ イ短調 4/4拍子」は、ゆったりとした早さで堂々とした威厳のある面持ちが感じられます。
また、他の2つのソナタである第1曲、第5曲よりも高音、低音の音域の差をうまく施すことで、この時代にあまり見られない独特の曲に仕上がっています。

第2楽章「フーガ」イ短調 2/4拍子」は、非常に長い楽節で構成されたフーガがあり、主だった休止が見られなく継続的な演奏が施されており、何か底から湧きがってくるようなエネルギッシュな旋律から躍動感を感じとることができます。

第3楽章「アンダンテ ハ長調 3/4拍子」は、1台のバイオリンで、1つの旋律とまたその他に通奏低音のパートを弾くというユニークな形式があり、移弦(ボウイング)の高度演奏技巧が必要とされます。

1つの旋律は、執拗音型(ある種の音楽パターンを続けて何度も繰り返す事)の特徴を持っているのに対して、別の旋律は叙情的な曲調になっています。

第4楽章「アレグロ イ短調 2/2拍子」は、この曲の締めに相応しい速めのテンポなのですが「マ・ノン・トロッポ」に近い演奏で表現されている様に思われます。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ第1番」第2曲「パルティータ第1番ロ短調」(その3)

バッハの6つの無伴奏バイオリンソナタ第1番
「パルティータ第1番ロ短調」BWV.1002(その3)

「パルティータ」は、17世紀から18世紀にかけて創作された器楽曲です。
17世紀の間は、ほとんど変奏曲と同じ枠組みで考えられていましたが、時代と共に双方の明らかな相違性が唱えられるようになったのです。

まず変奏曲は、その大部分の各楽章が独立している構成で、ある程度の曲長などの規模があるのに対して、パルティータは各パートが比較的こまぎれであり、独立性もなく、またほぼ節目が無く次のパートへと繋がっていくとの点が、その主な理由と言えるところです。

またバッハの活躍したバロック音楽時代においては、共通の主題やモチーフなどによって、統一性をもって構成された「組曲」という名称を含んだ曲想として変化しましたが、バッハ自信はオルガンなどの鍵盤楽器において、古来からの用法を取り入れるようにしていたと言われています。

なお、バッハの第1番のパルティータにおいては、各楽章に変奏が付いている特徴があります。

第1楽章「アルマンダ・ロ短調4/4拍子」は、重音奏を頻繁に用いた荘厳な仕上がりです。

第2楽章「コレンテ・ロ短調4/3拍子」は、移弦(ボウイィング)が多用されている特徴があります。
これは「運弓法」ともいわれ、弦楽器にあって弓を如何に動かすかという技巧のことで、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスなどの弦楽器など、弓や弦の位置、接触させる、つまり弓を傾ける角度、弓を動かす方向、弦に加える力の強さ、弓を動かす速さによって音の強さや音色が変わることを利用する方法によるものです。

第3楽章は「サラバンドロ短調4/3拍子」、第4楽章「ジーグ・ロ短調2/2拍子」は、第1楽章と同じように絶妙な重音奏が多用されています。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ第1番」 第1曲「ソナタ第1番ト短調」(その2)

バッハの6つの無伴奏バイオリンソナタ第1番「ソナタ第1番ト短調」BWV.1001(その2)

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ第1番ト短調」は6つから構成される曲集の導入にふさわしく、対位法や洗練された和音の使い方などを織り込んでおり完成度の高い曲であるといえます。

特色としては、「緩—急—緩—急」の第1楽章から第4楽章で構成されてからなり、典型的なソナタの形式をとっているのですが、これが整然とした厳粛性を兼ね備えており、いかにも教会のソナタである面持ちを感じさせます。


さて第1楽章「アダージョト短調4/4拍子」は、プレリュードを思わせる曲調であると言えますが、全曲をとおして重厚な響きが主体とされたモチーフがあります。

第2楽章「フーガ・アレグロト短調2/2拍子」は、バッハの「フーガ ト短調 BWV.1000」として編曲されたものであり、バッハ自信この第2楽章の旋律が、気にいっていたようです。

バッハが鍵盤楽器の優れた演奏家でもありましたが、複数声部のフーガを演奏家にあたかも普通に弾かせようとするパートがあるのですが、ここからはバイオリンにおいてもバッハの演奏技術の高さをうかがい知ることができるのです。

第3楽章「シチリアーナ変ロ長調8/12拍子」は、シチリアーナの舞曲をモチーフとした形式で構成され、ユニークな仕上がりとなっています。

なお、シチリアーナは、その発生起源をシチリアーナ地方とする舞曲で、ルネサンス音楽の末期から初期のバロック音楽にかけて頻繁に多様されたものです。

ゆるやかな8/6拍子か8/12拍子で作曲され、短調を用い躊躇いがちな曲想と付点リズムが含まれるのが特徴です。
器楽曲の楽章として用いられるだけでなく、オペラのアリアにも応用されています。

第4楽章「プレストト短調8/3拍子」は、巧みな上昇音による形式、下降音による形式を頻繁に用いている特徴があります。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」(BWV.1001~1006)その1

さて平均律クラビィーア曲集に続いて、バッハのケーテン時代の作品として名高い「6つのバイオリンソナタ 第1巻」について紹介します。

バッハの「6つの無伴奏バイオリンソナタ」は別名で、「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」(BWV.1001~1006)と呼ばれています。

これは、3曲ずつのソナタがBWV番号の奇数で、それから3つのパルティータがBWV番号の偶数で合計6曲から構成されているからです。

バイオリン独奏の作品としては、今日でもクラシック界での名作の一つに数えられる楽曲です。

作曲されたのは1720年頃なので、前に何度かその名前が出てきているあのケーテン公レオポルト侯に仕え、ケーテンの宮廷楽長の職にあった頃の作品の1つです。

この頃のバッハは、多くの協奏曲、室内楽曲を創作していましたが、この曲集もその代表作となります。

また第2巻も存在するのですが、これは後に紹介する「無伴奏チェロ組曲」のこととなります。

第1巻については原本の楽譜は、現在既存していませんが、この曲について現在分かってきていることは、当時ケーテンの宮廷楽団に所属していたヨーゼフ=シューピスという優れたバイオリンの名手の為に作曲された作品ではないかと言われていることです。

バッハの生涯「ケーテンの悲しい出来事」

バッハの生涯「ケーテンの悲しい出来事」

しばらくケーテンにちなんだ曲を紹介してきましたので、ここではケーテンでのバッハの身のまわりで起きた出来事について少々触れてみたいと思います。

1720年、レオポルト公と共にカールスバートに旅行中に最愛の妻マーリア=バーバラが急に病にたおれて、急死してしまったのです。

バッハ自身もまだ9歳という幼い頃に母親を亡くしており、バッハの子供達も同じ悲しみを味わったことでしょう。

バッハは、音楽を愛するだけでなく家庭と信教を大切にして生きた人物でもあったことは有名ですが、残された子供達をさぞ不憫に思ったことでしょう。

そしてバッハには更に悲しい出来事が続き、翌年1721年には、兄ヨハン=クリストフが亡くなってしまうのです。

クリストフは、幼い頃すでに父母を無くしていたバッハの父親代わりとなり苦しい生活をしいられながらも、バッハの為に学費を工面して音楽学校を卒業させてあげた人物であった等、今日のバッハを支えた家族の一人でもありました。
その為、悲しみもひときわ大きかったのではないかと思われます。

それでもこの頃、先に紹介してきたブランデンブルグ協奏曲など数々の名曲を創作をするなど、その作曲に掛ける情熱は、まるで最愛の妻、そして兄を失った悲しみを忘れようとするかのような意気込みのようなものがあったのではないかと感じられます。

このようなバッハの気丈さも、きっと子供の頃から貧しくても家族愛を背景にした心の豊かさがバッハの多くの名曲を生むきっかけになったものと考えられます。

バッハの平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その8)

バッハの平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その8)

今回は、平均律クラビィーア曲集 第2巻(その7)に続いて第2巻のフーガについて、更に掘り下げていきたいと思います。

この曲集におけるフーガの構造を大きく分類すると、主題の提示部、間の楽節、終楽節に分けられます。

主題における提示部は、主題に対して最大で5度程の音程が相違していることで、主題の旋律が引用される応答形式となっています。
これが、古典派の名高い数々の音楽家により、その様式が確立されたソナタ形式の提示部に相当するのです。

また間の楽節では、自由な対位法を聴きとることができ、これがソナタの展開部にも見られる技法でもあり、双方が似かよっていることに気が付きます。

更には、主題を転回させたり、逆行させたりといった具合でさまざまな技法を織り込むことで、この曲集の世界に例えるなら中間色とでも言える技巧性が施されているのです。

終楽章では、再び主題が登場し主旋律音とこれに付随する音が継続し保持されることで、曲の均衡性を保ち終曲を迎えるのです。

以下、残りの8曲となります。

17.BWV886 前奏曲 - 4声のフーガ 変イ長調、
18.BWV887 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ト短調
19.BWV888 前奏曲 - 3声のフーガ  イ長調、
20.BWV889 前奏曲 - 3声のフーガ  イ短調 
21.BWV890 前奏曲 - 3声のフーガ 変ロ長調、 
22.BWV891 前奏曲 - 4声のフーガ 変ロ短調
23.BWV892 前奏曲 - 4声のフーガ  ロ長調、 
24.BWV893 前奏曲 - 3声のフーガ  ロ短調

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第2巻(その7)

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第2巻(その7)

平均律クラヴィーア曲集の前奏曲もさることながら、ここからはフーガについて触れてみたいと思います。

フーガにおいては、深く緻密な構想の上に成り立っていると思われる様式が見られます。
前奏曲と同じ様に、バッハの平均律におけるフーガも多様な形式を示しています。

第2巻の24曲のいずれも同じ構造となっていないことには驚愕するばかりで、バッハの旋律を構想する曲想が如何に多種多様に富んでいたことを表すものと思われます。

一般的にフーガは、多声音楽においてその曲を構成する上で優れ機能性を兼ね備えた構造となっているのですが、この第2巻においてはバッハ自身によってより極められた最高のフーガと言える仕上がりとなっているのです。

中半の8曲は、以下のとおりです。
9.BWV878 前奏曲 - 4声のフーガ  ホ長調、
10.BWV879 前奏曲 - 3声のフーガ  ホ短調
11.BWV880 前奏曲 - 3声のフーガ  ヘ長調、
12、BWV881 前奏曲 - 3声のフーガ  ヘ短調
13.BWV882 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ヘ長調、
14.BWV883 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ヘ短調  
15.BWV884 前奏曲 - 3声のフーガ  ト長調、
16.BWV885 前奏曲 - 4声のフーガ  ト短調

バッハの「平均律クラビィーア曲集」 第2巻(その6)

バッハの「平均律クラビィーア曲集」 第2巻(その6)

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第2巻(その5)に続いて、第2巻の全体像を更に掘り下げて触れてみたいと思います。
第2巻の曲集では、第1巻よりも更に緻密で技巧性に富んだ前奏曲が見られます。
特にニ長調 BWV874、へ短調、BWV881、変ロ長調 BWV890では、古典派のソナタ形式の前進であることを思わせる形式になっているという点に関心が深まります。

これらの前奏曲には、バッハ自身のオリジナリティーによる優れた研ぎ澄まされた即興的な演奏を醸し出す要素が強く感じられる様に思われます。

なお、ここでは、平均律クラビィーア曲集第2巻の全24曲の詳細を1曲ずつ聴いていきたいところですが、第1巻同様に膨大な曲集でもあるので、下記のように全体像までを追うこととします。

勿論次回は、当曲集の一構成を成すフーガについても、その全体像について触れていきます。

前半の8曲は、以下のとおりです。

1.BWV870 前奏曲 - 3声のフーガ  ハ長調、
2.BWV871 前奏曲 - 4声のフーガ  ハ短調
3.BWV872 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ハ長調、 
4.BWV873 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ハ短調
5.BWV874 前奏曲 - 4声のフーガ  ニ長調、
6.BWV875 前奏曲 - 3声のフーガ  ニ短調
7.BWV876 前奏曲 - 4声のフーガ 変ホ長調、
8.BWV877 前奏曲 - 4声のフーガ 嬰ニ短調

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第2巻(その5)

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第2巻(その5)

さて、平均律クラビィーア曲集 第1巻(その1)でも少々触れましたが、第2巻について紹介していきます。

第2巻の作曲時期としては、第1巻に続きライプチヒでの創作活動時代である1744年頃に完成した作品と言われております。

長調、短調24調による前奏曲とフーガからなる曲集です。

第1巻と同じように単一で作曲された作品ではなく、その大半はバッハそれまでに作曲した当時既に存在していた前奏曲やフーガを編曲して集められた作品となります。

一方で、練習曲集としての一面もあった第1と比較すると、よりこれ以降のバッハの作品に多分に見られる独特の音楽性の豊かな作品集となっているものと思われます。

例えば、前奏曲にはソナタに類似した形式の作品が見られたり、フーガには際立った対位法が随所に見られのが、その裏付けになるところと言えるでしょう。

特に二重対位法を駆使して創作されたと思われる「変ロ短調 BWV891」においては、その緻密で高度な音楽の技法により構成された作風は、後に紹介する「フーガの技法BWV 1080」の前身となった曲ではないかと感じられるくらい、どちらも甲乙を付けがたい仕上がりとなっているのです。

その全体像については、次に紹介していきます。

バッハの「平均律クラビィーア曲集」 第2巻(その4)

バッハの「平均律クラビィーア曲集」第2巻(その4)
さて、この平均律という曲名ですが、バッハの活躍した時代において、その従来の一般的な純正律法に対し平均律の調律法により作曲されたものであることは言うまでもありません。

平均律による調律法は、バッハが活躍した時代よりも以前に既に複数の作曲家によりその姿を現わにしており、その誕生は16世紀初め頃であったと言われています。

バッハは、特にヨハン=カスパール=フェルディナント=フィッシャー(1670~1746年)の「新オルガンのための20の小プレリュードとフーガ」による影響を受けたものと考えられています。

フィッシャーは、ドイツ盛期バロック音楽の作曲家で、1695年までにバーデン大公であったルートビヒ=ウィルヘルムの宮廷楽長を務めた略歴のある作曲家でした。

さて、ご存知のようにクラビィーアは鍵盤楽器の類となるので、バッハのこのような多種多様な調により構成された曲においては、例えば比率が等分でない12個の半音程を演奏する場合には、如何にすご腕のオルガン奏者といえども、かなり至難の業であり困難なものとなるのです。

このような現実性から考えると、バッハが先人達の作品をこよなく愛し、これを鍛錬に演奏してみることで自然に学習したものとも思われます。

バッハは、これに飽き足らず自己の作品にこれを取り入れ、更なる飛躍的な技巧性を兼ね備えさせたのです。

これにより、以後音楽界においてはショパンなどの作品にも影響を与え、今日では平均律法による代表作品としての位置付けにあるのです。

バッハの「平均律クラビィーア曲集」 第1巻(その3)

バッハの「平均律クラビィーア曲集」 第1巻(その3)

前回のバッハの「平均律クラビィーア曲集」第1巻その2で触れてきた、バッハの自信に満ちたその弛まぬ創作意欲とその痕跡は、その他の作品にも見られます。

例えば、「インベンションとシンフォニア:1723年」、「クラビィーア練習曲第1巻」、「クラビィーア練習曲第2巻:イタリア協奏曲、フランス序曲」、「クラビィーア練習曲第3巻:オルガンのためのコラール前奏曲」、「クラビィーア練習曲第4巻:ゴールドベルク変奏曲」など数々の名曲がその対象となるのです。

さて、この曲に共通するフーガは、即興曲のような特質が多分に含まれるだけでなく、カデンツァ、アリア、インベンション、シンフォニア、トリオなどの多種多様な様式が見られる非常に魅力的な構成であるのです。

以下、残りの12曲となります。
13.BWV858 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ヘ長調、
14.BWV859 前奏曲 - 4声のフーガ 嬰ヘ短調
15.BWV860 前奏曲 - 3声のフーガ  ト長調、
16.BWV861 前奏曲 - 4声のフーガ  ト短調
17.BWV862 前奏曲 - 4声のフーガ 変イ長調、
18.BWV863 前奏曲 - 4声のフーガ 嬰ト短調
19.BWV864 前奏曲 - 3声のフーガ  イ長調、
20.BWV865 前奏曲 - 4声のフーガ  イ短調
21.BWV866 前奏曲 - 3声のフーガ 変ロ長調、
22.BWV867 前奏曲 - 5声のフーガ 変ロ短調
23.BWV868 前奏曲 - 4声のフーガ  ロ長調、
24.BWV869 前奏曲 - 4声のフーガ  ロ短調

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第1巻(その2)

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第1巻(その2)

前回の「平均律クラヴィーア曲集」(その1)でも一部紹介してきました様に、バッハはこのクラビィーアによる曲集を家族や弟子達の音楽の基礎教育を目的に教材用に作曲していたものとされていましたが、それだけではなく家族で家庭内のアンサンブルを楽しむ為にも用いられていたようです。

このようなバッハの取り組みは、自己の音楽の世界が、あたかも当時の音楽界の中心にあり、バッハの作品こそお手本、または基本なのであることを誇示していたかのようにすら思え、また音楽界の末を予期していたような正々堂々とした生き方には、音楽を知り尽くした真の実力者の生きざまのようなものが感じられます。

さてここでは、平均律クラヴィーア曲集第1巻の全24曲の詳細を1曲ずつ聴いていきたいところですが、膨大な曲集でもあるので、下記のように全体像までを追うこととします。

前半の12曲は、以下のとおりです。
1.BWV846 前奏曲 - 4声のフーガ  ハ長調、
2.BWV847 前奏曲 - 3声のフーガ  ハ短調   
3.BWV848 前奏曲 - 3声のフーガ 嬰ハ長調、
4.BWV849 前奏曲 - 5声のフーガ 嬰ハ短調 
5.BWV850 前奏曲 - 4声のフーガ  ニ長調、
6.BWV851 前奏曲 - 3声のフーガ  ニ短調
7.BWV852 前奏曲 - 3声のフーガ 変ホ長調、
8.BWV853 前奏曲 変ホ短調 - 3声のフーガ 嬰ニ短調[8] 
9.BWV854 前奏曲 - 3声のフーガ  ホ長調、
10.BWV855 前奏曲 - 2声のフーガ  ホ短調
11.BWV856 前奏曲 - 3声のフーガ  ヘ長調、
12.BWV857 前奏曲 - 4声のフーガ  ヘ短調

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第1巻

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」 第1巻(その1)
 
平均律クラビィーア曲集は、前奏曲とフーガから構成されたバッハの鍵盤楽器のための作品集です。

ここで紹介する第1巻の他に、第2巻があり、双方共に24曲の構成で、第1番から長調、短調が交互に作曲されているというユニークな作品です。

第1巻 (BWV846~869) は ケーテンでの創作活動時代の1722年頃の作品と言われています。
第1巻に対して、第2巻 (BWV870~893)も 作曲されており、これはライプチヒでの創作活動時代である1744年頃に完成した作品であると言われております。

尚、第1巻は単独に作曲された曲集ではなく、その多くはバッハの作曲した既存の前奏曲や、フーガを編曲して集成されたものとなります。特に前奏曲の約半数は、1720年に息子の教育用として書き始められた「ウィルヘルム=フリーデマン=バッハのためのクラヴィーア小曲集」に、「プレアンブルム」として含まれています。

第1巻には、様々な様式のフーガが見られ、嬰ハ短調 BWV849や3声のフーガである嬰ニ短調 BWV853は、高度な対位法が駆使された傑作として知られています。

また、現代ではピアノの演奏を学んでいる人々にとっても重要な曲集の一つとなっているのです。

ケーテンでのバッハの創作活動とその環境について

ケーテンでのバッハの創作活動とその環境について

さて、ここではケーテンでのバッハの創作活動について、もう少し掘り下げて紹介していきます。

当時のバッハは、既に音楽家(作曲家)として、オルガン演奏者として、その並はずれた才能が高く評価されるようになっており、この時代の音楽家のレベルを超越した存在であったと言われています。

また、その作曲ジャンルも多種多様で、教会での礼拝用、宮廷の音楽会やイベント用、またはバッハの家族・親戚のみならず、弟子達・友人達の練習曲用など、さまざまな場面に及んでおり、これらは今尚、色焦ることなく世界の人々の心を掴んで離さないのです。

ただ、この時代にはまだ楽譜の出版による文明開化は、まだ当時のドイツにはありませんでした。

その為バッハの作品の多くは、自身による印刷にてこの世に姿を表したものとされています。しかしながら、これらが友人達や弟子達に手渡され、持ち主以外の所有品になると、手書きの楽譜としてその姿を変えていくのでした。

近代に、運よく発見されてきたバッハの作品の多くはこのような手書きのものが多いのもそのような背景があったからなのです。

また、1719年には、当時既にイギリスで「水上の音楽」を出版するなどして大きな成功を成し遂げていたゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル(1685~1759年 )が、音楽活動の一環としてハレに来独していることをバッハは知り急いで駆けつけたとの史実が残っており、当時のバッハは我々現代人が知る由もないほどヘンデルを尊敬していたことが分かってきているのです。

このように、好奇心旺盛なバッハはヘンデルの影響をどこまで受けたかは別として、その創作活動において充実した日々を過ごしていたものと思われます。

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」 BWV.1043(その3)

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」 BWV.1043(その3) 

この曲の最終楽章となる第3楽章は、「二短調 3/4拍子、アレグロ」で、同じ二短調でも第1楽章のそれとは相違しています。

全体にさらに明るい旋律が、早いテンポで奏でられ楽節の構成も独奏部と合奏部がうまく融合しており、いかにもバッハらしい流れるようなスマートな味付けが印象的な曲であるのが特徴です。

この楽章でも、第1バイオリンの旋律を第2バイオリンが追奏していき、双方の楽節の間では合奏部がみられ、弦楽器群は両者の独奏を引き立てようとするかのように、独特の旋律でその伴奏を展開していきます。

やがて第1バイオリンの独奏に誘導されていくかのように、徐々に始めの駆け出しの楽節がその姿が現られ始めると、ここから全楽器群による演奏となるやいなや、第1バイオリンと弦楽器群が見事なバランスで追奏を繰り返しながらこの曲の山場を迎えるのです。

更に後半部では、第1バイオリンと第2バイオリンによる双方の独創的なカデンツァを融合性させたような演奏により、足早にこの楽節の旋律を駆け抜けていきます。

以後、転調が生じたかと思うと、冒頭の楽節にみられた旋律を今度は、全楽器群による音階が折り重なっていき、力量感を感じながら終曲を迎えるのです。

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」 BWV.1043(その2)

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」 BWV.1043(その2)

前回に続き、バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」の第2楽章についてとなります。

第2楽章は「ヘ長調・12/8拍子、ラルゴ・マ・ノン・タント」で、主に3つの構成からなります。

第2楽章の冒頭は、第1楽章と同様に第2バイオリンが主題を奏でると、続いて第1バイオリンも同主題を交互に追奏していくという対位的で優雅な旋律が特徴です。

全楽の合奏部になると2台の独奏バイオリンらは、伴奏の旋律を奏でる役目になり、第2部では、短い小節ながらもこじんまりと16音符の追奏での変化が見られる構成となっており、ほど良い加減で耳に残る聴かせどころになっています。

第3部では、これまでの主題がイ短調となりますが、ここでの追奏は第2バイオリンの独奏がよりも高い音階で第1バイオリンの旋律が奏でられ、ややもすると冒頭との相違性が無い、あたかも同じような対位法で聴こえてくる感覚になりますが、多少なりともその相違性に気が付かされるはずです。

曲は、このように冒頭の曲調をかもしだいながらも、静寂につつまれるように終曲していきます。

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲」

バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲 二短調」 BWV.1043(その1)

この曲は、前の節で少々触れましたが、ブランデンブルク協奏曲が創作されたバッハのケーテンでの音楽活動時期である1718年頃に作曲されたものであるとされています。

しかしながら近年では、ライプツィヒの活動時期に作曲されたものではないかと言う説が浮上してきている背景もあり、その作曲時期をめぐり非常に興味深い由来のある曲でもあるのです。
「2つのバイオリンのための協奏曲」の楽器編成は、独奏バイオリン2台、弦楽器群(ビオラ、チェロ)、通奏低音で演奏されます。

第1楽章は、「二短調、2/2拍子、ビバーチェ」で、冒頭では独奏の第1バイオリン以外の全合奏から始まり、続いて第2バイオリンが主題を奏で、第1バイオリンがこれを追っていくような形式で演奏され、二短調とはいえ全体に明朗さすら感じられます。

「2つのバイオリンのための協奏曲」の特徴としては、バイオリンの独奏パートにて第1バイオリンの旋律を、第2バイオリンがカノン風に奏でることで、カノン風の対位法による形式より構成された形式にあるかと思われます。

なお、弦楽器群による合奏は、冒頭で出てきた主題を奏でる引き立て役を演じながらも、最終章では、全合奏によるメリハリさを感じさせ、1度聴いただけでも何ともインパクトのある音程と、その旋律が巧みに表現されていることに気付くことでしょう。

バッハがケーテンで作曲した他の作品

バッハがケーテンで作曲した他の作品

先に触れたようにバッハのケーテンでの作曲活動としては、ブランデンブルク協奏曲に留まらず多くの協奏曲を創作しており、ここではケーテン時代の代表的な作品についてさらに紹介していきます。

まず、バッハの多数の作品の中では,数少ない楽曲の類になるバイオリン協奏曲について触れます。

バッハはその生涯に5つのバイオリン協奏曲を作曲したと言われておりますが、現在でも残存するのは3曲だけで、第1番、第2番は独奏バイオリンを主体とした演奏による構成ですが、第3番は唯一2つのバイオリンを主体とした作品となっているのです。

気になる残りの2曲は、現在も存在するのか否か、その楽譜の行方は不明のままとなっており、バッハの作品の中でも希少なバイオリン協奏曲であるが故に、バッハの作品をこよなく好む愛好家達にとっては、全く残念で仕方が無いとしか言いようがない面持ちであると思います。

さて、バッハのバイオリン協奏曲の特徴として、特に2つのバイオリン協奏曲は、この時代の協奏曲が舞曲をモチーフとした形式による楽章を含めて構成するのが主流であったのに対して、2種類の独奏楽器が同主題を演奏するというもので、バッハよりも後世に確立されたソナタ形式による協奏曲の形式とは異なっているところにあると言えるでしょう。

この点、古典派時代にまず協奏曲におけるソナタ形式を確立したモーツアルトなどの初期の作品に多大な影響を与えた作品であると言えるのではないかと思われます。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その7)第6番変ロ長調

ブランデンブルク協奏曲(その7)
第6番変ロ長調BWV.1051

この曲では、独奏楽器群が用いられていなく弦楽器群との区別がないという特徴で、バッハら
しい重みのある堂々とした曲調で構成されています。

楽器編成としては、ビオラ・ダ・ブラッチョ2台、ビオラ・ダ・ガンバ2台、通奏低音、チェロ、以上により演奏されます。

第1楽章「変ロ長調 2/2拍子」は、2台のビオラが冒頭から最後まで主導的にカノンによる演奏で活躍します。

第2楽章「変ホ長調 アダージョ・マ・ノン・タント 3/2拍子」でも、2台のビオラが中心になり、抒情的な要素が主題とされた旋律により構成されており、ブランデンブルク協奏曲の
緩徐楽章の中で唯一となる長調で形式化されています。

第3楽章「 変ロ長調アレグロ 12/8拍子」では、2台のビオラが主体となり軽快かつ堂々とした曲調を基本としたシンコペーションが、個人的には印象深いところになっているのではないかと思います。

尚、シンコペーションとは、ひとつの音がより劣位の拍からより優位の拍に鳴り続けることによって生じるリズムのことです。

以上6曲を紹介してきましたが、それぞれの曲がインパクトのある、けしてその他の作曲の作品には見られない特徴を持ち合わせているのです。

これは当時イタリアなど、クラシック音楽界の最先端を進んでいた音楽をバッハが意識し、これらを自分の作品に意図的にうまく融合させることで、バッハ独自の音楽の世界を展開し発展させた結果の産物であるとも思われます。

この辺りが、今でも広く深く愛されているバロック音楽のどこか新鮮さとバッハの神秘的な音の世界が現代の人の心を掴んで離さない根拠であるのかもしれません。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その6)第5番ニ長調 BWV.1050

バッハのブランデンブルク協奏曲(その6) 
第5番ニ長調 BWV.1050

この曲は、第1番から第6番の全6曲のブランデンブルグ協奏曲の内、最も名高く広く親しまれており、ブランデンブルグ協奏曲の代表的な曲です。

特徴は、先に触れた第4番で登場し見事なバイオリンの技巧性が見られたのと同様に、ここでは、チェンバロの独奏カデンツァが含まれており、あたかもチェンバロ協奏曲のような曲調となっています。

楽器編成としては、弦楽器群のバイオリン、ビオラ、チェロ、ビオローネが主体とされています。
また独奏楽器では、バイオリン、チェンバロ、フルートが用いられています。

第1楽章「ニ長調 アレグロ2/2拍子」では、冒頭から独奏楽器群のバイオリン、チェンバロ、フルートと弦楽器群がテンポよく明朗快活にその旋律を奏でていきます。
またチェンバロは、その他の独奏楽器であるバイオリンとフルートを引き立てながらも、やがて自らは長い独自のカデンツァ部へ突入していきます。

第2楽章「ロ短長調 アフェットゥオーソ 4/4拍子」では、物悲しさを誘うような感傷的な旋律が、独奏楽器(バイオリン、チェンバロ、フルート)のみで演奏されというユニークな楽曲構成となっています。

第3楽章「 ニ長調アレグロ 2/4拍子」は、第2楽章とは対象的に、明るく煌びやかな旋律が印象的で、フーガを基調の構成されており終曲にふさわしい展開となります。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その5)第4番ト長調

ブランデンブルク協奏曲(その5) 
第4番ト長調BWV.1049

この曲の特徴は、独奏バイオリンが第1から第3楽章まで至る個所で技巧的な旋律を奏で聴かせどころがあるので、あたかもバイオリン協奏曲のような構成にすら思えるところにあるかと思われます。

楽器編成としては、弦楽器群のバイオリン2台、ビオラ1台、チェロ1台、ビオローネ1台、ハープシコードで演奏されます。
また独奏楽器としては、バイオリン、リコーダ2台が使用されています。

第1楽章「ト長調アレグロ3/8拍子」は、1度聴くとどこか暖かみと馴染み深さを感じさせられる曲調で、独奏バイオリンとリコーダ2台が明朗でゆったりとした旋律を展開していきます。

第2楽章「ホ短調アンダンテ3/4拍子」は、全合奏で独奏のバイオリンとリコーダ2台が同じ旋律を強弱を付けて交代に演奏しながら絶妙な喧騒と静寂の効用効果が引き出されており、バッハの奥の深い音の世界が繰り広げられています。

第3楽章「ト長調プレスト2/2拍子」は、冒頭からビオラによる主題が奏でられると、バイオリン群へと引き継がれていき、通奏低音も加わり対位法が主体となった形式(フーガ)となっています。

尚、このフーガは、カノンと同様に、同じ旋律意図的に複数の声部に順次含めていくという特徴がある形式です。
この部分は、主題提示部、または単に提示部、主部と呼ばれたりします。

また各パートでは、バイオリンとリコーダの独奏楽器群の技巧的なトゥッティが、合奏楽器群と織りなす旋律の流れが聴きどころでもあり、曲の締めくくりに相応しい構成であると言えるかと思われます。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その4)第3番ト長調

バッハのブランデンブルク協奏曲(その4)
第3番ト長調 BWV.1048

ブランデンブルク協奏曲の最大の特徴は、これまで紹介してきた1番、2番とは異なり、独奏楽器群と合奏部との区別が無いところにあります。

楽器編成としては、弦楽器群のバイオリン3台、ビオラ3台、チェロ3台、ハープシコードらにより演奏され、管楽器の登場が無いというユニークな構成となっています。
個人的には、6曲中では比較的親しまれ易い旋律の曲ではないかと思います。

第1楽章は「ト長調2/2拍子」で、雄大で堂々したリズミカルな旋律がユニゾンでバイオリン群により奏でられ、その他の弦楽器がこの主題を追うように旋律を従順に引き継いでいく形式で展開されていきます。

第2楽章は「ホ短調アダージョ4/4拍子」で、即興演奏を意識した形式で2和音のみが1小節だけで構成されており、これもこの曲の特徴の1つであるとも言えます。

第3楽章は「ト長調アレグロの12/8拍子」、早いテンポの主題がバイオリンを皮きりに、ビオラ、チェロへと低音弦楽器に引き継がれていき、第1、2楽章とは対象的に駆け足でこれらが繰り返されいささか、かなり早い演奏で展開されていく面持ちをいだかされる印象があります。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その3)第2番ヘ長調

ブランデンブルク協奏曲(その3)
第2番ヘ長調 BWV.1047

楽器編成は、独奏楽器群にトランペット、フルート(リコーダ)、オーボエ、バイオリンが、その他弦楽器群(バイオリン2台、ビオローネ)、ハープシコード、以上により演奏されます。

第1楽章は「ヘ長調2/2拍子」で、合奏の主題と独奏バイオリンの主題双方が、交代に演奏されいかにもバッハらしい旋律で次々と転長をみせながら展開されていきます。

これに続いて、独奏の主題がオーボエ、フルート(リコーダ)、トランペットへと引き継がれていき、何とも各々の楽器の特徴があらわに表現された旋律となっており、中でもトランペット独奏の高い技巧性に、インパクトがあり、聴きどころになるのではないかと思われます。

第2楽章は「アンダンテ二短調の3/4拍子」、ハープシコードの伴奏に合わせ、バイオリン、オーボエ、フルートの3重奏がゆっくりとしたペースで、どこか物哀しいしんみりとした情感を漂わせながら、この曲の中ほどをしっかりと色濃く飾りぬいていくのです。

第3楽章は「アレグロ・アッサイのヘ長調2/4拍子」で、4種類(バイオリン、オーボエ、フルート、トランペット)の独奏楽器が、最後まで活躍し各々の技巧性を披露しフーガ風に展開されていきます。

ここでもやはりトランペットの独創性がひときわ、目立っており曲の華やかさを増していると言えます。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その2)第1番ヘ長調

バッハのブランデンブルク協奏曲(その2)
第1番ヘ長調 BWV.1046

この曲は、ケーテンでの音楽活動かそれ以前に冠婚儀式などの祝祭行事の催しの為に、作曲されたものが原曲であると言われております。

また、シンフォニアヘ長調BWV.1071と似通った点が多く見受けられる事から、これが原曲ではないかとも言われております。

楽器編成は、独奏楽器群にホルンが2台、ファゴットが1台、バイオリン1台、オーボエ3台、ビオリーノ・ピッコロ1台、この他には弦楽器群(バイオリン2台、ビオラ、チェロ)、ハープシコード、以上により演奏され、6曲の中では最大の編成規模となっております。

尚、ビオリーノ・ピッコロは、バイオリンよりも3度程高く調弦された弦楽器で現在での使用は希となっています。

曲の構成は、6曲中の中でも唯一4楽章の構成となっており、第1楽章には速度指定がないユニークさがありますが一般的にはアレグロの解釈にて、「ヘ長調の2/2拍子」で、ホルンとオーボエが、弦楽器群と共に奏でる悠々と流れるような旋律が特徴です。

第2楽章が「アダージョのニ短調4/3拍子」で、独奏バイオリンとオーボエが主体になり、情緒感が漂い寂寥すらただよう旋律が印象的です。第3楽章が「アレグロのヘ長調8/6拍子」で、あたかもバイオリン協奏曲であるかのように独奏バイオリンが中心になってこの曲を引き立てていきます。

第4楽章がメヌエットで次のような形式です。(第1トリオ、メヌエット、ポロネーズ、第2トリオ、メヌエット)で、メヌエット部が全楽器にて、トリオ部は管楽器、ポロネーズ部は弦楽器のみで演奏されるというユニークなものとなっています。

バッハのブランデンブルク協奏曲(その1)

バッハのブランデンブルク協奏曲(その1)

ケーテンでは、カンタータだけでなく、多くの器楽曲、協奏曲も手掛けており、管弦楽組曲と並んでバッハの代表的な作品であるブランデンブルク協奏曲等を作曲していた事から、充実した音楽活動を展開していたものと思われます。

このブランデンブルク協奏曲は、1721年頃に当時ブランデンブルク辺境伯であったクリスチャン=ルードビィヒ(1677-1734年)に献呈されたもので、1718年から1720年頃に全6曲が創作されたものと言われています。

この曲集の特徴は、合奏協奏曲の形式で作曲されており独奏楽器群、ハープシコード、弦楽器群などの楽器編成により主題が応答されながら曲を展開していくもので、音楽の歴史からみると古典派やロマン派の協奏曲とは相違しているところです。

そして、興味深いのは現在バッハの自筆譜が、ベルリンの国立図書館に残されているのですが、「ブランデンブルク協奏曲」という作品名ではなく、この自筆譜にはフランス語で「いくつもの楽器による協奏曲集」と記されているだけである事です。

無論、我々が知るブランデンブルク協奏曲集と同じ作品ですが、上記のような献呈された曲であることを背景に後世になって、ドイツの地名が用いられ、いかにもドイツのバロック音楽らしい作品として現在世界中の人々に深く親しまれている曲集であるのです。

バッハのカンタータ「深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる」

バッハのカンタータ(宗教カンタータ2-3)
「深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる」BWV.38、

この曲は、ルターのコラール「主よ深きふちの底より」をモチーフにした作品であり、これと同じ聖書の箇所を用いた曲として、その他にはカンタータ第131番「深き淵より、主よ、われ汝に呼ばわる」BWV.131があります。

1).第1曲: 合唱  <ソプラノ独唱、オーボエ、トロンボーン、弦楽器群、通奏低音>
2).第2曲: レティタティーボ < アルト独唱、通奏低音>
3).第3曲:アリア     <テノール独唱、オーボエ、通奏低音>
4).第4曲: レティタティーボ <ソプラノ独唱、通奏低音>
5).第5曲: 三重唱     <ソプラノ独唱、アルト独唱、バス、通奏低音>
6).第6曲: コラール    <合唱、オーケストラ、通奏低音>

バッハのカンタータ(宗教カンタータ2-2)

バッハのカンタータ(宗教カンタータ2-2)

前回に続きバッハの宗教カンタータのうちから、以下にBWV.26~BWV.38を記載します。

(宗教カンタータ2-2)
39.「飢えたる者に汝のパンを分かち与えよ」BWV.39、
40.「神の子の現れたまいしは」BWV.40、       
41.「イエスよ、いま讃賛を受けたまえ」BWV.41、
42.「この同じ安息日の夕べ」BWV.42、
43.「神は喜び叫ぶ声と共に昇り」BWV.43、
44.「人々汝らを追放せん」BWV.44
45.「人よ、汝に善きこと告げられたり」BWV.45、
46.「心して見よ、苦しみのあるやを」BWV.46、
47.「自ら高ぶる者は、いやしめらるべし」BWV.47、
48.「われ悩める人われをこの死の体より」BWV.48
49.「われは行きて汝をこがれ求む」BWV.49、
50.「いまや、われらの神の救いと力と」BWV.50

ここでは、とても全曲を紹介しきれないので、代表としてBWV.38の曲構成と演奏形体について次回以降に紹介します。

バッハのカンタータ(宗教カンタータ2-1)

バッハのカンタータ(宗教カンタータ2-1)

ワイマールでの作曲活動期より、宗教カンタータのみでなくいくつかのカンタータを既に作曲してきた経緯がありますが、1717年からケーテンのレオポルド公の下、宮廷楽団の学長の座にあったバッハは、ケーテンでの手始めにレオポルド公の誕生を祝う祝典用に「いとも尊きレーオポルト殿下よ」BWV.173 aなどの世俗カンタータを作曲し大成功をおさめています。

このようにケーテンでの活動においても精力的にカンタータや器楽曲の作曲を継続していきます。

バッハの宗教カンタータのうち、以下にBWV.26~BWV.38を記載します。

(宗教カンタータ2-1)
26.「ああいかにはかなきいかにむなしき」BWV.26、
27.「だれぞ知らんわが終りの近づけるを」BWV.27、
28.「神は頌むべくかな!いまや年は終り」BWV.28(1725)、
29.「神よ、汝にわれら感謝す」BWV.29、
30.「喜べ、救われし群よ」BWV.30、
31.「天は笑い、地は歓呼す」BWV.31、
32.「いと尊きイエスよ、わが憧れよ」BWV.32、
33.「ただ汝にのみ、主イエスキリストよ」BWV.33、
34.「おお永遠の火、おお愛の源よ」BWV.34、
35.「霊と心は驚き惑う」BWV.35、
36.「喜び勇みて羽ばたき昇れ」BWV.36、                 
37.「信じて洗礼を受くる者は」BWV.37、
38.「深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる」BWV.38   

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(6)

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その6)
第5曲 コラール「慈しみもてわれらを死なせ」変ロ長調、4/4拍子

5曲目は、合唱・全楽器で演奏されます。この曲は、宗教カンタータ第96番「主キリスト、神の独り子」の最後の曲である第5節を編曲したものと言われております。

特徴は、コラールがバイオリンとオーボエが演奏するリトルネッロの間節に歌われる構成となっていることです。

ここではバッハと「リトルネッロ」について少々触れておきます。
リトルネッロとは、バロック時代の協奏曲に多く見られた形式で、バッハの作品には珍しいものではありませんが、代表的な曲は後に触れる「イタリア協奏曲」などがあります。

ご承知のように「イタリア協奏曲」は鍵盤楽器曲ですが、「協奏曲」と名付けられているのは、「協奏曲」はこのリトルネッロ形式から来ているところから来ているのです。

また、リトルネッロは、ロンド形式と似かよったところがありますがその違いは次のとおりです。

ロンド形式の場合には、ロンド主題が毎回同じ主調で演奏されるのに対して、リトルネッロでは、楽曲の最初と最後以外は主調以外の調で演奏されるのです。

また協奏曲では、リトルネッロを全合奏で、リトルネッロに挟まれた部分を独奏楽器群が演奏します。

そして興味深いのは、この22番の特徴に見られる技法は、宗教カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」BWV.147(別名:「主よ人の望みの喜びよ」)や第105番「主よ、汝の下僕の審きにかかずらいたもうなかれ」BWV.105など、1723年頃に作曲されたカンタータの最終曲に共通して適用されている傾向があるという事実ではないかと思われます。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(5)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その5)
第4曲 アリア「わがすべての最たるもの」 変ロ長調、3/8拍子

4曲目は、テノール・弦楽器・通奏低音で演奏されます。弦楽器によるパスピエの冒頭でひときは美しい旋律が奏でられ、解放感にあふれた歓喜を表現しています。

なお、パスピエとは、17世紀から18世紀の古典舞曲で、ブルターニュに起源を発し、17世紀にパリで大流行した経緯があります。

「パスピエ」という語は、「通行する足」の意味であり、この舞曲に特徴的な軽やかなステップを言い表すものでした。

また古い時代は、8分の3拍子ないしは8分の6拍子の速い旋舞であり、先に触れたジグにも類似していたものと言われております。

歓喜から一変して、現世からの離別を告げるパートでは、何とも落ち着いた和やかな下降音による旋律が数小節ほど続けて奏でられており、その前の上昇音を主体にするテノール独唱とは相対象的に構成されている表現が、わかりやすく聴いて取れるのが印象的であると思われます。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(4)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その4)
第3曲 レチタティーヴォ「わがイエスよ、我を導きたまえ」

3曲目は、バス・弦楽器・通奏低音で演奏されます。
曲中においてまず気になるのが、複数の弦楽器音の旋律に乗せて、その存在感をアピールするかのような濃厚さ、または力強さが感じられるレティタティーボが含まれている個所です。

またゴルダゴの山頂にて、十字架に架けられたイエスに後光が指し少しずつ変容していく情景と共に、この世の未練を断ち切り十字架に導かれる道を信じて願いを込める気持ちを暗示するパートでは、曲の調子も徐々に激しくなっていき、バッハの絶妙な創作技法がこの情景とうまく調和しており、この曲の聴かせどころになっている箇所であるかと思われます。

またこの後、喜びに満ちあふれて晴々しくエルサレムへ旅立つイエスの姿を、歌詞の1音節に対して、いくつかの音符を当てはめるような曲付けの仕方にと共に、数回程に渡り変調を繰り返していきながら、躍動的な旋律を経て圧倒的なスケールで聴かせられるうちに壮大なこの3曲目の終止を迎えるのです。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(3)

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その3)
第2曲 アリア「わがイエスよ、我を導きたまえ」ト短調、9/8拍子

アルト、オーボエ、通奏低音で演奏されます。
2曲目は、穏やかにジグを奏でるオーボエの旋律を主体にして、イエスを平穏無事にエルサレムへ導くようにとの祈りが込められています。

またアルトの独唱の旋律は、曲の至るところで同音の継続が含まれた構成となっています。
第1曲 の「アリオーソと合唱」で見られたオーボエのオブリガートの特徴が、この2曲目のアリアにも続いており、この共通性を見つけることができるところには興味深いものがあります。

ここで、ジグについて少々触れておきます。
ジグとは8分の9拍子または、8分の6拍子の舞曲のことで、イギリスやアイルランドの民俗舞踊形式の一つで、別名ジーグ とも呼ばれており、よくバロック組曲の最終曲にて構成され、される特徴があります。

なお、印象的なのはキリストが救いの精神で自ら受難に立ち向かっていこうとする状況を表現する為に、協和性の低い不安定な和音の旋律が含まれている個所であるかと思われ、何とも自然に慈悲深さを感じることができる曲であると思います。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」(2)

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その2)
第1曲 「アリオーソと合唱」ト短調、4/4拍子

1曲目は、テノール・バス・オーボエ・弦楽器・通奏低音・合唱により演奏されます。
曲自体は、受難を予告したイエス(バス独唱)が、自分の複数の弟子達(コーラス)に「見よわれらエルサレムへ上る」と悟りを語る名高い聖書の一場面をモチーフに、バッハが独自の主情的な旋律にて創作したものです。

まず弦楽器が、オーボエで奏でられる独奏音のオブリガート(主旋律と同様に重要な伴奏のパート)を反復する旋律があり、この形式がたびたび登場してくるので初めて聴いても比較的、馴染みやすい曲想であると言えます。

また聖書の引用部分の場面においては、テノールによる解説でレティタティーボが独唱されると、早々に流麗なバス独唱による福音がとって代わり、弦楽器を主体とする楽器群の伴奏が続いていきます。

しかしながら、これと対照的にソプラノ独唱によるフーガの主題が始まると突然これらの伴奏を奏でる楽器群は、これまでの旋律を一旦終止し途切れさせながらもこれを反復していき、イエスの意図することを理解しきれない弟子達の躊躇や迷いを表現しようとしているのではないかと思われます。

バッハのカンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」

カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22(その1)

バッハは1717年にケーテンに移住します。
しかしその間もなく、1720年には愛する妻マリーア=バルバラが病により突然、この世を去ることになるのです。

それでもバッハは最愛の妻を失いながらも、自ら悲しみから逃れようとするかのように、次々と新作を作曲するのでした。

「6つの無伴奏バイオリンソナタ」、「6つの無伴奏チェロ組曲」などがこの時期の代表的な曲となります。
これらの曲については、後に触れていきたいと思います。

この第22番は、1723年にバッハがライプツィヒ市にある聖トーマス教会におけるカントルの採用試験で演奏した曲であると言われております。

曲の構成は、四旬節の礼拝で演奏される形式です。またこのカントルの試験では、『汝まことの神にしてダビデの子よ』 BWV23も同時に演奏されております。

BWV22が新しい様式のカンタータを指向しているのに対して、BWV23は古い様式のカンタータとなっています。

しかしながら、現代でも広く世に知られている曲であるにも関わらず、実際に演奏される機会は極端に少ないのが現状であるのは残念なところです。      

バッハの生涯(ワイーマールからケーテンへ)

バッハの生涯
(ワイーマールからケーテンへ)

順調と思われたワイマールでのバッハの生活ですが、1717年に事態が急速に変わってしまいます。

ワイマールでのバッハの雇い主であったウィルヘルム=エルンスト公(1662- 1728)が、自由な音楽活動を禁止する規制(イタリア風の音楽を演奏するなどの)を強引に制定する姿勢を取るようになったことが引き金となります。

バッハにとっては、常に新しい音楽を取り入れる機会でもあった唯一の場でもありました。
しかし、これを不服に思っていたバッハはこの規制を遵守できるわけもなく、2度の辞職願いを宮廷に提出するも、挙句の果てに牢獄に拘留されるにまで発展しました。

もともと、このエルンスト公は市民には厳しい統治者でもありましたが、一方ではバッハを宮廷の音楽がとして高く評価していた事実もあります。

それを物語るのが1回目の辞職願いに対してこれを阻止しようと、旅行に行くことを公認するなどして、ある意味自由な活動を認めようとして、バッハの心を引き留めようとした逸話が残されています。

本来、ザクセン地方を共同で統治していたウィルヘルム公の甥エルンスト=アウグストス(1674-1728年)との確執争いが主体となった事態だとバッハも周知していた一面もあったようですがウィルヘルム自身が、自由な音楽活動を提唱していたアウグストスにバッハを奪われたくなかった心境にあったのではないかと思われます。

こうしてバッハは、ワイマールを去り新天地のケーテンへ移住しアンハルト=ケーテン公であったレオポルトの宮廷楽長の座に就くことになったのです。

バッハの生涯(ミュールハウゼンからワイマールへ)

バッハの生涯
(ミュールハウゼンからワイマールへ)

ミュールハウゼンに在住後期のバッハは、聖ブラジウス教会のオルガンの段数を増やすなどの改造試みたりして独自の音楽感を教会から広めようとする活気があふれた一面がありました。

しかし1708年には、突然ワイマールで宮廷のオルガン奏者となることを決めミュールハウゼンを去りワイマールへ移住することになったのです。

一方でカンタータの創作にも力を注いでおり、通奏低音の主体にオルガンを起用する構成を用いたり、対位法という演奏楽器のパートや合唱、独唱パート各々のパートが独立した旋律で、これらを調和させながら折り重ねていくことで音に深さを持たせる効果がある方法を用いるなど、この頃からバッハの創作技法の基礎が表れてくることとなります。

また、ワイマールではバッハの音楽をよく理解しカンタータの歌詞を提供していたとされる人物にも恵まれることにもなり音楽家としても平穏な生活をおくるのでした。

この頃、ワイマールでもオルガンの改造を考案し、度々それらの新しいオルガンの試験演奏を実施し演奏家としてだけではなく、技術的な構造とその維持のうえでも特別な専門家として、認められるようになっておりました。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」その2

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565(その2)

これほど有名な「トッカータとフーガニ短調」BWV565ですが、あるいは有名であるせいか興味深い逸話があります。

実は、この「トッカータとフーガニ短調」はバッハ以外の人物が作曲したのではないかという説があるのです。
以下に、その理由とされている内容を記します。

1つ目は、先にも少々触れましたが、フーガの書き方がバッハとしては、異例な形式である点になります。
例えば、主題部が単独で提示されるフーガとなっており、また短調の変終止で終わるフーガがバッハの全生涯の作品において、そのような例が見られない点があることです。

2つ目は、解釈の仕方によっては減七の和音の効果や技巧の誇示が顕著に認められることです。

3つ目は、未だに、バッハの自筆譜が見つかっていなく、さらに現在最古とされている楽譜(筆写譜)が1700年代の後半のものであり、この頃バッハ既に他界入りしているので時代背景が合っていないことなどが挙げられます。

以上の様な内容から、「トッカータとフーガニ短調」の真の作曲者は、ペーター=ケルナー(1705-1772年)とされている説があるのです。

このように、バッハ自身の作品であるのか否かとの観点で、バッハのその他のフーガ技法とは異なるのが、バッハの初期の作品であるからであるとの理由は成立し兼ねるのかもしれませんが、個人的には紛れもなくバッハの作品であるものと考えたいところです。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV565(その1)

バッハのカンタータを紹介してきている途中となりますが、アルンシュタット時代あるいはミュールハウゼン時代に作曲されたと推測されている「トッカータとフーガニ短調」BWV565を紹介します。

実際には、正確な作曲年数は解明されていませんが、おそらく(1707~1718年頃)であろうと言われております。

「トッカータとフーガニ短調」は、世界で広く知られている多くのバッハの作品のうち、最も代表的なオルガン曲で、特に人気の高い作品のひとつでもあります。

なお「トッカータとフーガニ短調」は、大きく分けて、トッカータ部とフーガ部にて構成されています。

トッカータ部のその冒頭は衝撃的な旋律で始まり、小刻みに音程が変わり、比較的早いテンポで端切れよく演奏されますが、どこか重々しくかつ荘厳な音程が特徴的です。

フーガ部は、バッハ初期の作品でもあるせいか、旋律がどちらかというとシンプルな構成であり強いインパクトはそれほど無いと感じられますが、強音、弱音が連続性を持つことで、曲に厚みを持たせていると思われます。

原曲は、オルガンではなくバイオリンであると言われておりますが、現代ではピアノで演奏されることもしばしばで、自己の悲しみを表現する場において他者に共感を得ようとするモチーフで広く親しまれてもいる点がユニークであると思われます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(9)

カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その9)
第8曲 第7変奏「われら食らいて生命に歩まん」

4/4拍子で構成されており、合唱・弦楽器・通奏低音で演奏されます。 

この曲では、生命の根源である食に育まれて、明日への生命をつなぐことができる人類が再び神への感謝の意を表す小規模なコラールの歌詞が荘厳に合唱されます。

またこの合唱では、先に触れたマルチン=ルターの讃美歌が、非常に精妙で緻密なバッハ独自の旋律に載せられていることにより、聴く者達はダイレクトに2人の天才の心の叫びをを聴いているかの様な心境に陥いっていく面持ちに感じられるのです。

なお、この第4番の8曲目のように、バッハがカンタータの最後にコラールを設定し最終節とするのは、バッハ後期のカンタータの作品に見られる形式であると言われております。

その為、当初はこの第4番はミュールハウゼンで作曲されたものとされており、以後最終節のコラールが1724年頃すなわちバッハのライプチヒでの活動(再演奏)の時期に追加されたものではないかと考えられております。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(8)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その8)
第7曲 第6変奏「かくて我ら尊き祭を言祝ぎ」

第6曲目では3/4拍子でしたが、再び1曲目から5曲目と同様に4/4拍子に戻る構成となっており、ソプラノとテノールの独唱と通奏低音で演奏されます。

冒頭から、三連符によるリズムの構成が主体となっております。

ここでは、目に見えない敵と格闘する前の恐怖心から、戦いに打ち勝った後に湧き上がる喜び、解放感を表現しており明るさが感じられます。

なお、三連符とは、基本的な音符を3等分するためのもので、原音符の2分の1の音価の音符を3つ並べ、3の数字を付す形式となります。

始めにソプラノ独唱が、そしてこれを追うようにテノールの独唱が続くカノン(追複曲)が取り入れられており、第5曲の冒頭でのテノールとアルトのそれを思わせる様です。

節の末尾では、ソプラノとテノールが一緒に三連符のメリスマ(シラブル様式である1音節対1音符で作曲されている部分に、2つ以上の音符を用いて歌うこと)が出てくるのが特徴です。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(7)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その7)
第6曲 第5変奏「まことの過越の小羊あり」

これまでの第1曲から第5曲までとは相違し、唯一3/4拍子での構成となっており、バスの独唱弦楽器、それから通奏低音で演奏されます。

人類が「死」に打ち勝った背景に、イエス=キリストの犠牲があった旨を告げる個所は2つの節で構成されています。

讃美歌の旋律がバスにより朗誦され、複数のパートが同じ音程で同じ旋律を演奏するユニゾンの旋律が弦楽器で演奏され、リフレイン形式(楽曲の形式のひとつで、主だった旋律の前にそれと同等かそれより長い前語りを持つ楽曲の形式)で反復されていきます。

また犠牲を伴いながらも力強く格闘した「死」との戦いを回想するパートの旋律では、バスが怒りと憎しみをぶつけるかの様に独唱すると共に、弦楽器がこのバスを華々しく後押をしていく箇所がありますが、劇的な旋律の流れが印象的です。

また、最終節のハレルヤでは、低音域での高低の変動があり、もはやバスの音域を超えていると思われるパートがあるのもこの曲の特徴であると言えます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(6)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その6)
第5曲 第4変奏「世にも奇しき戦起こりて」

4/4拍子の構成で、合唱・通奏低音にて演奏されます。
冒頭では、テノールが独唱し、これをカノン(楽曲様式における追複曲)の技法によって、その途中でアルトにより曲の主旋律が奏でられていきます。

印象的なのは、半音階により劇的な音の変動による効果を用いるなどして再び「生命」と「死」の格闘を表現する歌詞が歌いあげられていきます。

「生命」を維持しようとする人類との戦いに敗れ去った「死」に対してののしる様子が、絶妙なバランスで合唱されており、聴くものの心を捉えていきます。

そして最終節の主をほめたたえる「ハレルヤ」では、安堵感だけでなく、どこか満ち足りた人類の喜びと共に、その旋律から優越心のようなものすら感じとることができます。

また、ここではとりわけルターが創作した歌詞にバッハらしい旋律とその構成がうまく融合しているこの曲の特徴がよく表現されているパートであると思われます。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(5)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その5)
第4曲 第3変奏「イエス・キリスト、神の御子」

4/4拍子の構成で、テノールの独唱・バイオリン・通奏低音により演奏されます。
突然嵐のようにけたたましく鳴り響く伴奏が、冒頭を飾ります。

死という人類の永遠の恐怖に対して戦い抜こうと誓う強い精神力を表現しながらも、イエス=キリストを称えるという歌詞が奏でられます。

これに続いて、快活なテノールの独唱が始まりますが、このテノールの旋律は讃美歌を基本とした構成となっており、また合唱では、人類が生きる証としての「生命」と恐れを抱き続ける「死」へ想いの戦いが激しく競い合う対位法による創作が織り込まれているところに、その特徴があります。

そしてこの激しい伴奏が、これまでの旋律を一掃するように静まり変えると、人類との戦いの果てに討ち裂かれた死の残骸を表現する旋律が淡々と歌い上げられます。

そして曲のクライマックスとなるハレルヤでは、神が人類の身代わりになったことを受け救われ、人類が神の御加護を受けて死に打ち勝った喜びと神への感謝の意を表す合唱が響き渡るのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(4)

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その4)
第3曲 第2変奏「死に打ち勝てる者絶えてなかりき」の解説

4/4拍子の構成で、ソプラノ・アルトの2重唱・通奏低音で演奏されます。
下降音型を基本とする「オスティナート」伴奏に合わせて、死を免れることができない人間
の罪を嘆き苦しむソプラノ、アルトの二重唱が澄みわたります。

この二声は時おり不協和音を織り込みながらも、すべてをあきらめたかのような感覚を暗示する物静かな歌を奏でていきます。

しかしながら、人間が死の恐怖を感じて苛まされるという暗いモチーフを歌っているにも関わらず、ひときわ煌びやかさすら感じる事ができる旋律の美しさが、このソプラノとアルトの二重唱に表現されているのではと受け取れます。

なお、「オスティナート」とは、ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事です。
音楽技法では、少なくともある種のリズムパターンの反復が行われますが、最も典型的なオスティナート技法では、リズムのみでなく音程や和声も反復される場合が多いのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(3)

カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その3)

第2曲 第1変奏「キリストは死の縄目につながれたり」の解説

4/4拍子の構成で、合唱・弦楽器・通奏低音で演奏されます。
特徴としては、前奏が無く、いきなりソプラノのパート旋律から合唱が始まります。
また、ハーモニーとなるアルト、テノール、バス(下三声)の伴奏は、節ごとに大きく様相を変えていきます。

半音階降下は、「人の罪を背負って繋がれたイエスを悼む」に用いられます。
突き上げる上昇音、「復活と新たな生命を授ける奇蹟を歌う」復活を暗示する表現とされています。

また伴奏楽器にも、「復活を喜ぶ人々の歓呼を激しい走句のリレー」として引き継がれいく形式となります。

テノールを始まりとするポリフォニー(多声音楽)で、感謝の言葉はで歌い継がれ、最終的にアレグロの「ハレルヤ頌」の応酬へと高まり、圧倒的な合唱の力量感が漂う曲調となっております。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」(2)

カンタータ第4番
「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4(その2)

第1曲 シンフォニア
4/4拍子の構成で、弦楽器と通奏低音で演奏されます。

重苦しい弦楽演奏から始まり、全体をとおして2部編成の重厚な伴奏のビオラに加えて、第1バイオリンが深い悲しみを表現するような旋律を奏でている特徴があります。

また、一部のバッハ研究家からはバッハの受難観が織り込まれている構成であると評論されている内容があります。

具体的に、コラールの旋律がはめ込まれたわずか14小節の間に秘められた思いが、作曲者バッハの意図する事であると考えられており、BACHのアルファベット4文字の序数を合計していくと14となることから(B=2、A=1、C=3、H=8、A+B+C=14)、そのような数値上での曲の構成をバッハが故意に形式化していたのではないかと考えられるのです。

バッハのカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」

カンタータ第4番(その1)
「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4

バッハの「カンタータ第4番」の原曲は、宗教改革で知られるマルティン=ルターが(1483~1546年)、1524年に作詞しラテン語の賛美歌「過越の生贄を讃美せよ」の旋律にはめ込んで、作曲まで手掛けたコラールが元になっております。

バッハは、ルターのこのコラールの歌詞をそのままモチーフに使用し、原曲のコラールの旋律を組み込むことで、全8曲から構成される変奏曲として創作しています。

また全8曲がホ短調で統一されている特徴があります。尚、ホ短調とは楽譜上の五線譜において、最上段になる第五線にシャープが書き込まれている形式となります。

またこの形式は、ドイツではシャープが「十字架」と呼ばれていることから、神が唯一であり神を高くかかげる十字架を象徴するために、この調性を選んだものと考えられます。

なお、現在伝わる最古の資料は、1724年か1725年の再演のために書き直されたパート譜と言われております。また初演および作曲時期について広く知られている仮説は、クリストフ=ボルフらが唱えた1707年説で、ミュールハウゼンへの就職試験のために作曲されたものとされています。

バッハのカンタータ(宗教カンタータ1)

バッハのカンタータ(宗教カンタータ1)

バッハは、宗教カンタータ、世俗カンタータの両方を作曲しております。以下にバッハのカンタータをシュミーダーBWVの番号順に記載します。まずは、宗教カンタータBWV1 ~BWV25となります。

(宗教カンタータ1)
1.「輝く曙の明星のいと美しきかな」BWV.1、
2.「ああ神よ、天よりみそなわし」BWV.2
3.「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」BWV.3、
4.「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4
5.「われはいずこに逃れゆくべき」BWV.5、
6.「われらと共に留まりたまえ」BWV.6
7.「われらの主キリスト、ヨルダンの川に来たり」BWV.7、
8.「いと尊き御神よ、いつわれは死なん」BWV.8
9.「救い主はわれらに来たれり」BWV.9、
10.「わがこころは主をあがめ」BWV.10
11.「神をそのもろもろの国にて頌めよ」BWV.11、
12.「泣き、嘆き、憂い、おののき」BWV.12
13.「わがため息、わが涙は」BWV.13、
14.「神もしこの時われらと共にいまさずは」BWV.14
15.「そは汝わが魂を陰府に」BWV.15、
16.「主なる神よ、汝をわれらは讃えまつらん」BWV.16
17.「感謝の供えものを献ぐる者はわれを讃う」BWV.17、
18.「天より雨くだりて雪おちて」BWV.18、
19.「かくて戦い起れり」BWV.19、
20.「おお永遠、そは雷のことば」BWV.20
21.「わがうちに憂いは満ちぬBWV.21、
22.「イエス十二弟子を召寄せて」BWV.22
23.「汝まことの神にしてダビデの子よ」BWV.23、
24.「まじりけなき心」BWV.24
25.「汝の怒りによりて」BWV.25、

以後、上記カンタータの中から、代表して第4番と第22番について紹介していきたいと思います。

バッハとカンタータについて

バッハとカンタータについて

ミュールハウゼンに移住したバッハは、1707年の秋にマリア=バルバラ=バッハ(父方の従兄の娘)と結婚します。

この頃からバッハは、カンタータの作曲を始めており、生涯に渡り200曲以上ものカンタータを残しています。

ウォルフガング=シュミーダーが組織的に整理した目録であるバッハ作品番号BWVの形式では、BWV1~231がカンタータに相当しています。

カンタータは交声曲とも言われ、器楽器の伴奏に合わせて独唱か合唱いずれかが加わって構成された声楽曲のことです。

またカンタータの由来は、1600年代後半頃に、イタリアで作曲された、レチタティーボ(話すように歌われるパート)とアリア(独唱)からなる独唱と通奏低音のための歌曲として知られ教会などで歌われていました。

バッハが活躍した時代の1700年代前半のドイツでは、コラール(讃美歌)を取り入れた教会カンタータが作曲されるようになっていました。

カンタータには、教会カンタータと世俗カンタータがあり、前者は宗教的な主題がモチーフとなり、聖書に由来する歌詞が使われる形式であるのに対して、後者は都市や宮廷の祝典のために作曲された複数声部のための作品で、当時はむしろ「セレナータ)」、や「音楽劇」等と呼ばれるのが一般的でした。

バッハの生涯(ミュールハウゼン編)

バッハの生涯(ミュールハウゼン編)

(時代は「若き日のバッハ」から続いています。)
1707年、バッハはアルンシュタットからミュールハウゼンに新しい職を求めて移り住みます。
新天地ミュールハウゼンで、バッハは聖ブラジウス教会のオルガン奏者として迎えられることになったのです。

この聖ブラジウス教会は、アルンシュタットのボニファティウス教会よりも給料が高く、また音楽の質やレベルが高いと評価されているところでもあったことから、バッハは希望に満ちた新しい生活をこの町で始めようとしたのでした。

また聖ブラジウス教会は、当時増加傾向にあったプロテスタント派を継承していた為、ルター派を信仰する家系で育ったバッハがこの教会を選んだのも自然な成り行きと言えるでしょう。

なお、当時の各地の教会は、古い慣習に囚われたカトリック教会を脱し、プロテスタント派を継承する宗派が増加しており、これにより幾種もの教会儀式が増える事にもなりました。

また、バッハが務めた聖ブラジウス教会は、伝統的な音楽を公認するルター派の演奏を認めていない敬虔主義派であった為、バッハにとってはありふれた、つまらない音楽を提供せざるを得ない風習に苛まされるのでした。

なお、この聖ブラジウス教会での採用試験では「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4を演奏し、オルガン奏者の座を得たものと言われております。

バッハの生涯「若き日々のバッハ」(その3)

バッハの生涯「若き日々のバッハ」
アルンシュタットからリューベックへ(その3)

「若き日のバッハその2」から続いています。)

リューベックに長期滞在し、1706年にようやくアルンシュタットへ戻ったバッハは、バロック時代後期の新しい音楽を習得し、これをボニファティウス教会でも試行してみようと考えるのでした。

しかしながら、アルンシュタットでバッハを待ち受けていたのは、長期休暇に対する厳しい聖職会議からの非難と、バッハが試行しようとした新しい音楽への批判だけでしかありませんでした。

当時の礼拝の讃美歌にしては、場違いな即興演奏が含まれたり、また装飾が派手な伴奏があったり等で、聴衆に不快な心境を起こすような取り組みとみなされていたものと思われます。

バッハにとっては、自己が信じる新しい音楽がなぜ受け入れられないのか考える余地もなかった事でしょう。

しかし一方で、伝統と格式だけを重んじる風潮があるアルンシュタットとは、既に目に見えた温度差があったという事は言うまでもなく、バッハ自身がこれに気付くのには、そんなに時間掛からなかった事でしょう。

こうして若き日のアルンシュタット時代は、バッハとしては残念ながらかなり不完全燃焼で終わり、この地をあとにするのでした。

バッハの生涯「若き日々のバッハ」(2)「ディートリヒ=ブックステフーデ」について

バッハの生涯「若き日々のバッハ」(アルンシュタットからリューベックへその2)
もう1人のバッハ「ディートリヒ=ブックステフーデ」について

(「若き日のバッハその1」から続いています。)

先に触れたディートリヒ=ブックステフーデ(1637-1707年)は、17世紀のドイツ(プロイセン)を代表するオルガニストで、作曲家でもありました。

その作品は声楽においては、バロック期ドイツの教会カンタータの形成に尽力しておりました。

またオルガン音楽においては、北ドイツ・オルガン楽派の最大の巨匠とも言われ、その作風は幻想様式の典型とされ音楽界に貢献したとされております。

なお、ブックステフーデは、1668年にリューベックの聖マリア教会のオルガニストに就任しております。

この教会のオルガンは、3段鍵盤、54ストップを備える大オルガンで、当時では銘器としての誉れが高まっていた背景もあり、同教会のオルガニストは北ドイツの音楽家にとって最も重要な地位の1つとされていたと言われております。

バッハも、このリューベックを訪れブックステフーデの壮大なオルガン演奏に魅せられ、深い感銘を受け後に自己の音楽創作において大きな影響を受けたと思われます。その作風は、後に紹介する「トッカータとフーガニ短調」BWV565等の作品の特徴に表れていると言われております。

バッハの生涯「若き日々のバッハ」(その1)

バッハの生涯「若き日々のバッハ」
(アルンシュタットからリューベックへその1)

アルンシュタットで約3年程、定職に就いていたバッハでしたが、オルガン奏者としてだけでなく、聖歌隊の音楽教育指導も任せられるようになります。

オルガン奏者、オルガンの維持保守の仕事は、バッハにとってそれほどの苦ではなかったのですが、しかし、この聖歌隊での教師職は、まだ当時若いバッハには手を焼く仕事であったようです。

音楽の理解力も乏しく、学校の規則も遵守できない生徒が多かった為、バッハは忍耐を重ねる毎日であるばかりか、怒りすら覚えるようになり、次第に不満が積もっていくのでした。

そんな中バッハの人生を思いも寄らない方向へと変えていくきっかけとなったのが1705年の出来事でした。

アルンシュタットから、400kmもはなれたリューベックで当時のオルガン奏者としては最高峰と言われていたディートリヒ=ブックステフーデ(1637-1707年)が演奏会を開催する事を聞きつけ、いきなり4週間の休暇をとって、ブックステフーデの演奏会ばかりか、リューベックの音楽界にも夢中になり、この町に長期に渡り滞在したと言われております。

BWV(バッハ作品番号)とは

BWV(バッハ作品番号)とは

先に触れてきたバッハの作品番号として記載してきているBWVは
「Back-Werke-Verzeichnis」
の略で、バッハの作品を作曲された年代順ではなく、組織的に整理した目録としてその統一番号を作品番号として用いているもの。
ウォルフガング=シュミーダーが1950年に著した 「Thematisch-systematisches Verzeichnis der musikalischen Werke von Johann Sebastian Bach」(ヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽作品の主題系統的目録)に基づいております。

この形式が統一された背景には、当時の初編日時や、また繰り返して楽譜が書き換えされた等の背景から研究者達が各々の作品が作曲された年代の順番が決められなく、性格には明確化できない事情から生まれた優れた考え方であった事にあると言われております。

これには、後で紹介していきますがバッハの死後、クラシック音楽界における彼の位置付けそのものの歩みが深く関係している面があるからと言えるでしょう。

バッハのオルガン協奏曲集(第5番・第6番)

バッハのオルガン協奏曲集(その5)
<第5番ニ短調 BWV596>

バッハのオルガン協奏曲第5番は、ビバルディの「2つのバイオリンとチェロのための協奏曲 ニ短調」作品3の11(RV565)を原曲として編曲されたものです。

以前はバッハの長男であるウィルヘルム=フリーデマン=バッハ(1710~1784年)の作品と考えられていましたが、後に大バッハであるヨハンの作品と判明したと言われております。

構成は全4楽章からなり、第1楽章 (アレグロ―グラーベ)、第2楽章 フーガ、第3楽章 ラルゴ、第4楽章 フィナーレ(アレグロ)となっております。

なお、ウィルヘルムはバッハの息子たちの中では最も才能に恵まれたと評価されており、即興演奏や対位法の巨匠としても有名だったと言われており、幼い頃から父に音楽の手解きを受けていたためか、あるいは当時のウィルヘルムの作風が父の作品に似通っていたことも手伝い、そのような作曲者の相違を抱かせたものとも考えられます。

バッハのオルガン協奏曲集
<第6番 変ホ長調 BWV597>
バッハのオルガン協奏曲第6番は、ビバルディのどの曲が原曲であったかは現在も不明なところがあるためか、偽作ではないかと言われる逸話のある作品です。

構成は、第4番と同様に早さの指定が無い第1楽章と第2楽章( ジーグ)から構成されております。

バッハのオルガン協奏曲集<第2番・第3番>

バッハのオルガン協奏曲集(その4)
<第2番イ短調 BWV593>

バッハのオルガン協奏曲第2番は、ビバルディの「2つのバイオリンのための協奏曲 イ短調」作品3の8(RV522)を原曲として編曲された作品となります。

構成は3つの楽章からなり、原曲のバイオリンの特徴が、巧みな手法でオルガンに変換されていると感じ入るところがあります。

<第1楽章 (アレグロ)、第2楽章 アダージョ、第3楽章 アレグロ>

バッハのオルガン協奏曲集
<第3番ハ長調 BWV594>

オルガン協奏曲第3番は、ビバルディの「バイオリン協奏曲ヘ長調 RV 285a」作品7の5 (RV 285a)を原曲として編曲された作品となります。
今では、原曲が演奏される機会はあまりないのですが、ビバルディの音楽の特徴が色濃くオルガンで表現されている特徴があります。

<第1楽章 (アレグロ)、第2楽章 レチタティーヴォ(アダージョ)、第3楽章 アレグロ>
で構成されています。

バッハのオルガン協奏曲集について(その3)

バッハのオルガン協奏曲集について(その3)

1700年初期の頃、バッハはビバルディの作品をよく研究した時期でもあったと思われます。
中でもビバルディの弦楽器を主体とした協奏曲がその対象となります。

先にも触れましたが、この頃のドイツの音楽は、当時、音楽先進国であったイタリアから入り込んで来る新しい音楽の影響を受け、これを追従している時期であったからで、バッハというドイツ初期に現れた大音楽家もイタリア音楽に自然と関心を持たざるを得なかった環境にあったと言えます。

この背景には、当時の王家、貴族らが国の繁栄、統治の為に、常に新しい音楽を取り入れようとしてきたこともあり、好んで自国の作曲家にその演奏や編曲をさせていたものと考えられます。

バッハのオルガン協奏曲の一部もそのような背景で編曲されたものの一部となります。
次回より、オルガン協奏曲の残り4曲(第2番、第3番、第5番、第6番)の特徴や構成を記します。

バッハのオルガン協奏曲集より<第4番 ハ長調 BWV595>

バッハのオルガン協奏曲集について(その2)
<第4番 ハ長調 BWV595>

バッハのオルガン協奏曲集(その1)から続いています。)

先に触れたエルンスト公2世の原曲版による2曲中のもう一方の編曲作品が、この4番です。
特徴は単一楽章で、ソロとトゥッティの交付が非常に華やかに行なわれており、速度の指定が無いユニークな形式となっております。

バッハも当時広くもてはやされていたイタリア音楽に大きな関心を示すようになり、熱心に研究を繰り返していくことで、その原曲が持つ個性、影響を随所に採り入れながら自己の創作を形成していったものと考えられます。

このようにして、バッハは、イタリアの作曲家達が創作したしなやかで、優美な協奏曲の様式に大いに魅了されることで、同時にバイオリンをはじめとするその旋律楽器のイディオムが、鍵盤楽器と意外にも近親性を有している事実にも着目することで、独自の音楽技法を確立したと言われております。